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2023年8月26日 (土)

【追悼】バーニー・マースデンのこと

 
バーニー・マースデンの訃報に接した。
昭和26年生まれのうさぎ年なので私よりほぼひと回り年配ということになるが、もっとズッと年上かと思っていた。
バッキンガムシャーの生まれだというからMarshallの本社の所在地と同じ行政区画内だ。
さて、ディヴィッド・カバーデイルが1977年に『White Snake』というソロ・アルバムをリリースした時、その時中学3年生だった私はプロッグ・ロックに夢中だった。
友人から借りて一度は聴いてみたものの、あんなに好きだったハズの旧来型のハードロックに胸躍ることは全くなかった。
それ以来、Whitesnakeというバンドの音楽を自ら進んで聴くことは100%なく今日に至っている。
Marshall Blogの取材はさせてもらったけどね。
だから「白蛇」とか言って多くの皆さんがコピーバンドに夢中になっているのを目にすると、その人気の高さに最早感心することが多い。
したがってWhitesnakeのバーニー・マースデンのことは全く知らない。Ws それよりバーニー・マースデンということになると、私の場合はBabe Ruthになるか?
といっても「ニコイチ」の廉価CDしか持っていないんだけどね。
このバンド、ファースト・アルバムでナゼかザッパの「King Kong」を取り上げたりしているんだよね。
それはいいんだけど、全体としてはひたすらオモシロくない。
下の4枚のアルバムのウチ、バーニーが参加しているのは一番右の『Stealin' Home』というアルバムだけなんだけどナンの印象も残っていない。
バーニーってUFOやJucy Lucyにもいたんだってネェ。
それにポールのWingsのメンバーに推挙されたこともあったとか。
いずれにしてもキャリアのハイライトはWhitesnakeということになるのか。10さて、そんなWhitesnake知らずの私だったが、フランクフルトの楽器展示会『Musik MESSE』のMarshallのブースを毎年手伝うようになり、2006年に初めてバーニーにお会いした。
そんなところに東洋人がいるのを珍しく思ったのか、バーニーの方から話しかけて来てくれた。
とにかくいつもニコニコにコと感じのよい人で、一度で私の名前を覚えてくれた。
展示会場の入り口にはアイスクリームの屋台が出ていて、そこで買ってくるのか、バーニーは始終アイスクリームを食べていた。
手がふさがっている時など、「シゲ、シゲ!チョットこれ持っててくれる?」と、彼のアイスクリームを預かったこともあった。
202006年のこの写真の時、バーニーは1959HWをデモンストレーションしていた。
コレがスゴイ音でね。
電圧が高いということもあったのかも知れないが、身体の太さがそのまま音になったような図太い音色で、それはそれは素晴らしいサウンドだった。
30たまたまこの時の演奏を収録したビデオが出て来たので故人を偲ぶ意味で公開する。
こんな音を生で聴いてしまったら今流行りのデジタル機材で出したギターの音なんてマジで聴けたもんじゃないぞ。

時は下ってコレは2011年。
私が参加した最後のフランクフルト。
「シゲ、写真撮って!」とダグに頼まれて撮った1枚。40v 当時Marshallのデモンストレーターだったクリス・ジョージを交えて3人でナニか演ろうということになった。
確かダグとクリスが先にステージに上がっていて、そこにバーニーが加わる段取りだった。
ナニを演奏するのかがキマっていなくて、ダグがステージに上がる直前バーニーが「チョットチョット!ナニを演ればいいの?」とダグに尋ねた。
するとダグは「あ~…ストラトゥス」とだけ答え、バーニーが「OK」とだけ答えた。
このやり取りを横で聞いていて「カッコいい~」と思ったよ。
だって「Stratus」が弾けて当たり前ということでしょ。
日本とは異なる音楽のレベルの高さを目の当たりにしたような気がした。503人とも「コレでもか!」とMarshallサウンドの魅力をブチかました素晴らしい演奏だった。60vしかし、ヒドイ写真でスミマセン。
客席は立錐の余地が全くなくて、撮るスペースがこのバーニーの真横しかなかったのです。70その後、バーニーと会うことはなかったが、2019年の6月にロンドンのソーホーをブラブラしていた時のこと。
下のピザ屋は地下がライブハウスになっていて、ジョン・エサーリッジなんかが出ていたこともあったので、気になってこの日誰が出ているのかチョット覗きに行ってみた。80すると、その日のバンドのリハーサルの音が地上に漏れ聞こえて来た。
スゴいギター・サウンドでね、メチャクチャうまいのよ。
「ウワ~、誰だろう?」と思ってスケジュール表を見てみたら…そのギターの音の主はバーニー・マースデンだった。90v_2019ね、バーニーの音ってスゴいワケよ。
ということで、Marshallはバーニーが愛用していた1978年製の1959を下地にバーニーのシグネチャー・モデルをリリースした。
ヘッドが1959HWBM、2x12"キャビネットが1936VBM。
数量限定の取り扱いだったけど、日本には入って来たんだったっけかな?
しかし、やっぱり「白」なのね?100そのデモンストレーション・ビデオが残っているので紹介しておこう。

ああ、アイスクリームを持ってバーニーと一緒に写真を撮っておけばヨカッタな。
 
名ギタリストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます
 

200 (敬称略)