MLB Cafe TOKYOの田川ヒロアキ~私の後楽園
今日は久しぶりの後楽園から。
野球はおろかスポーツに全く興味がない私のこと、東京ドームなんて入ったことありゃせんわ…と思ったらレッチリだの、社会人野球の応援だの、で何回か入ったことがあったわ。
でも、遊園地の方に来るのはかなり久しぶりだぞ。
東京の東部の人間にとっての遊園地は「後楽園遊園地」か浅草の「花やしき」だからね。
子供の頃はよく来たものだった。
ところで皆さん、昔々、今東京ドームがあるところにナニがあったかご存知?
元々は水戸藩の上屋敷があった…というか、このあたりは全部水戸藩の上屋敷の敷地だった。
よく広さを表現するのに「東京ドーム〇〇個分」なんて例えるけど、家の敷地に東京ドームが入ってしまうなんてのはスゴイじゃないか?
「上屋敷」とは大名とその家族が過ごす江戸藩邸のひとつ。
水戸藩といえば、尾張、紀州と並ぶ徳川御三家の一角だからして、その上屋敷といえばベラボーにゴージャスだったのもうなずける。
上屋敷の下が「中屋敷」。
ココでは隠居や世継ぎが起居した。
その下が「下屋敷」で、庭園を備え、火事の避難宅や藩所有の機材や食料を保管する倉庫のような役目を果たした。
桜で有名な「隅田公園」は水戸藩の下屋敷の跡だよ。
だからあんなに立派な日本庭園が残っている。
コレは全く知らなかったんだけど、明治に入ると同地には「東京砲兵工廠」が立った。
「工廠(こうしゃ)」というのは軍の工場のことね。
来年100周年を迎える関東大震災。
その慰霊碑がある両国の横網公園は、元は「陸軍被服廠」といって軍服を作る工場だった。
そんな具合でかつて東京ドームがあった場所では昭和10年まで小銃を中心とした武器を作っていた。
「代々木公園」だって陸軍の練兵場だったワケだからね。
下の絵ハガキの写真は、お茶の水から水道橋へ向かう神田川沿いの眺め。
煙突が並んでいる辺りが「砲兵工廠」。
欧米列強に追い付け追い越せで「富国強兵」に勤しんでいた時代はこんな街中に軍の工場があったんだよ。
この鉄道は「甲武鉄道」という路線だった。
それが国鉄になり、今の中央線になった。
こんな話、東京以外の人にはオモシロくも何ともないですよね。
でも私は最高にオモシロい。
東京が大好きだから!
その後、同地には後楽園球場ができ、その横には競輪場が建設され、遊園地が併設された。
下の写真の上の方の楕円のヤツが競輪場の後。
写真ではもうプールになってしまっているナ。
遊園地の展望タワーがなつかしいね…何度も乗った。
写真の右側の白山通りの地下を走る「都営三田線」は、私が子供の頃は「都営6号線」と呼ばれていた。
また、今の「都営浅草線」は「都営1号線」だった。
50年以上前の話よ。
この「後楽園競輪場」は都が戦後の財政難を補助するために導入した競馬、競艇、オートレース等の「公営ギャンブル」のひとつだった。
後楽園の競輪場は1972年に閉鎖されたが、私は一度だけ父に連れられて行ったことがあった。
耳に赤鉛筆をはさんだ夥しい数の汚いオジさんが金網にへばり付き、「まくれ~!まくれ~!」と大量にツバを飛ばして絶叫している光景は子供だった私にとってかなりは強烈だった。
ジャンが入ると「あの鐘が鳴るとあと1周でレースがひとつ終わるんだよ」と父は教えてくれた。
この光景も私の後楽園のひとつ。
皆さんは下の写真のおジイさんをご存知?
年配の東京の人でないとわからないかな?
この人は1967年から1979年まで3期12年、東京の都知事を務めた「美濃部亮吉(みのべりょうきち)」という人。
私なんか「都知事」といえば、断じて「太陽の季節」でも「緑のタヌキ」でもなく「美濃部さん」のイメージが強い。
革新系の都知事で、「ドロッドロだった隅田川を魚が遡上できるまでにキレイにした良い人」というのが子供の頃の印象。
そして1972年、美濃部さんが公営ギャンブルを廃止し、後楽園競輪を閉鎖した。
理由は、ギャンブル依存症による生活破綻、家庭の崩壊、青少年への悪影響、八百長事件の頻発等、大きな社会問題を引き起こしていたから。
他にも東京都が絡んでいた公営ギャンブルがあったが、都が単独で運営していたのがこの「後楽園競輪」と「大井オートレース」だったので、2つが廃止の対象となった。
最近「IR」とかいうワケのわからない言葉を弄して政府はカジノの導入を企んでいるが、その是非は50年前に答えが出ているのですよ。
だから国民は歴史を勉強しないとダメなんだね。
その後、「後楽園競輪場」は「後楽園プール」となり、赤鉛筆を耳に挟んでいたオジさんたちは若者や子供へと姿を変えた。
入場料が安くなかったので小学生だった私は数えるほどしか行かなかったが、「流れるプール」がとても楽しかった。
でも、下の写真のようにいつ行ってもイモの子を洗うようで、今考えると不衛生極まりなかったな。
その後、プールで遊ぶ年齢を過ぎた頃、一度だけ後楽園プールを訪れたことがあった。
誰が考えたのか知らないが、このプールの脱衣場でオーディオ機器のセールが開催されたことがあったのだ。
私は小遣いを握りしめて激安で販売していたオルトフォンかなんかの輸入カートリッジを買いに行った。
後楽園ホールへも何度か入ったナァ。
一番最初は父に連れて行ってもらった遊園地の帰り、下の写真のビルの前を通りかかった時にタマタマ見つけた『底抜け脱線ゲーム』の無料公開録画だった。
ナマ「金原二郎」よ!
父は客席でよろこんで観ていたっけナァ。
そういえば、後楽園球場のバックネット裏で観た「巨人×大洋」の試合の時に前の席に座っていたのが「石井伊吉」だったことがあった。
誰のことだかわかる?…「毒蝮三太夫」です。
「ウルトラマン」のアラシ隊員の頃は「石井伊吉(いよし)」と名乗っていた。
お父さん、握手してもらってすごくよろこんでいた。
ナンカこうしてみると、私の「後楽園の思い出」は「父の思い出」だったような気になって来たナ。
写真は父ではなくて、毒蝮三太夫さんですよ。 高校になってロイ・ブキャナンとフランク・マリノを後楽園ホールで観たのもとても良い思い出だ。
下のプログラムは45年前に実際に後楽園ホールで買ったモノ。
大学の頃、ハンターのバーゲンをやっていたのもこのビルだったか?
「青いビル」って言っていたような気がする。
何十枚も買ったけど、下のレコードをそのバーゲンで買ったことを覚えている。
ローラースケートをしに来たこともあるし、家内とアイススケートでデートしたこともあった。
こうしてみると、後楽園の思い出って結構マッシブだな。
今まで一度も考えたことがなかった。
そして、コレが今の後楽園。
ここからが本題です。
トイレに行かれる方は今どうぞ!クリスマスが近いということで、盛んにイルミネーションが輝いていた。電気代は大丈夫なのか?節約した方がいいんじゃないのか?今日、後楽園を訪れた目的はココ。
大リーグをテーマにしたレストラン「MLB cafe TOKYO 東京ドームシティ店」。ココのステージに田川ヒロアキが登場して数曲演奏するのだ。入って行きなり目に飛び込んでくるのはドジャースの背番号「2」のオジちゃん。
完全スポーツ音痴の私にはコレが誰かを知る由もなく…調べてみるとトミー・ラソーダ。
顔は知ってると思ったら野茂がドジャースで活躍していた頃の監督だそうだ。MLB Cafeといえば「田川ヒロアキ」…でもないか?
でも、『Sports of Heart』というイベントでヒロアキくんがMLB Cafeの恵比寿店に何度か出演したことはMarshall Blogでレポートした。
下はその時の写真。
恵比寿店は2020年12月で閉店したそうだ。
司会者の紹介の後ステージに登場したヒロアキくん。
ココ、メッチャ大きいんよ!満席のお客さんに届ける最初の1曲は…
オハコの「Ave Maria」。もちろんヒロアキくんといえばMarshall。
でも今日のMarshallはいつもと勝手が違う。この日ヒロアキくんが使ったのはMarshall初のフルデジタル・モデリングアンプ「CODE50」。
Marshall60年の歴史における代表機種のサウンドをデジタル・テクノロジーを駆使して詰め込んだスグレモノ。
ヒロアキくんはレギュラーの真空管アンプとは別に現場によっては「CODE50」を使ってライブをこなしてくれている。ところでこのイベントがナニかというと、『LIFE WAVE 大忘年会』と題した企業の忘年会。
コレが大変にゴージャスな忘年会なのだ!
やはり先述の『Sports of Heart』が縁となっての出演と相成った。アンプのモデルは変わってもMarshallで弾く限り「ヒロアキ・ギターサウンド」は不変。
ヒロアキくんにはサウンドだけでなく、誰にもマネできない独特の歌い回し方があるからね。そのヒロアキ節と美しいサウンドで満員のお客さんを魅了する。また曲もいいからね~。
曲、音、演奏が完全に三位一体と化した素晴らしいパフォーマンスだった。「みなさん改めまして…初めまして、ギターの田川ヒロアキと申します。
よろしくお願いします。
今回は開催、誠におめでとうございます。
私もこうして初めて参加させて頂きましたが、お招き頂きありがとうございます。
今のこのご時世、こうしたパーティを開催するのはなかなか大変だったと思います。
最初からずっと私も参加させて頂いてとても楽しんでおります!」
ヒロアキくんの自己紹介と企画参加への経緯と感想を詳しく述べた。
ココで司会者からギターの弾き方についての質問。
「一体ナンダってそういう弾き方になってしまったんですか?」と、はじめは誰しもが疑問に思うヤツ。
初めはギターを床に置いて琴のように弾いていたが、ロック・ギターというのは立って髪を振り乱して弾くものということを知って…練習して少しずつ立って弾けるようになったものの、左手はもうやり直しがきかない!という話。
我々ヒロアキ・サポーターにはおなじみの話だけど、初めてそのストーリーを耳にした当日のお客さんたちは他人のことかと思って大爆笑!
ま、実際この話はオモシロいもんね~。
丸々聞きたい方はヒロアキくんのライブへどうぞ!
「…というわけで時間もそろそろ来たようなので、最後にもうひとつタイアップ曲をお届けします」今日の出番は次で終わり。11月にリリースした待望のニュー・アルバム『FACE』からの2曲をチョイス。
まずは『FACE』の冒頭を飾っている「Introduction」。「Seascape」を彷彿とさせるスケールの大きなサウンドから…エキサイティングな「ZERO」へ!
高校生を対象に、50ccのエンジンを搭載した自作のバギーカーの性能を競い合う「全日本高等学校ゼロハンカー大会」。
2002年からスタートしたこの大会のテーマ曲をヒロアキくんが作曲した。
その曲が「ZERO」。ダニー・ガットンが出て来そうなカントリー調のパートが印象的なイキのよい曲。
お客さんは大ノリ! 万雷の拍手を浴びて出番を終了させた。田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano
ヒロアキくん自信が当日使用したCODEをデモンストレーションするビデオはコチラ。
ところでこの「MLB Cafe TOKYO 東京ドームシティ店」は移転のため、今年いっぱいで閉店するそうだ。
ヒロアキくんの一度限りのココでのライブ、しっかりとMarshall Blogが記録した!
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