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2021年4月13日 (火)

【訃報】John Kentさんのこと

 
「John Kent(ジョン・ケント)」なんていかにもミュージシャンらしい名前だけどさにあらず。
私のイギリスのお友達だ。
イエイエ、「お友達」などと申しては大変失敬に当たるぐらい年上のお方…イヤ、お方だった。
そのジョンが「先週お亡くなりになった」とワザワザMarshallの社長が私に知らせて来てくださった。
そうか…ジョンもか…。
と言っても、ジム・マーシャルとそう年が変わらなかったハズなので、80歳台も後半の大往生だったに違いない。
今日は全くの私事になってしまうが、ジョン・ケントの思い出を記して哀悼の意を表したいと思う。
そこで早速ジョンの写真を探したのだが見事に1枚もなかった。
そこで取り出したるのがジムの伝記本『Fathers of Loud』。
この本にジョンが写っていることをMarshall の社長のジョンが(ややこしい!)思い出させてくれた。Fol_2下の写真がそれ。
ジムの生家や最初の楽器店等、Marshallの誕生に関わるロンドンのランドマークを2003年にジムと一緒に回った時に撮られたモノ。
「Number 1 AMP」号をバックに微笑む2人。
ジョンはジムの運転手であると同時に大の親友だった。
業務上、常に車の中でジムと一緒だったので、「社内で会社の内情に一番詳しいのではないか?」という冗談があったぐらいの関係だった。
後ろの席の会話がイヤでも聞こえて来ちゃうからね。122kentジョンはジムの運転手を務めていない時は来客の送り迎えもしていて、何度もジョンにヒースローと工場の間を運転してもらった。
見るからに「イギリスのおジイさん」という感じで、一番最初にお会いした時はチョット恐い感じがしたが、実は全然そんなことはなく、車の中ではいつもニコニコしながらヘタな私の英語に応対してくれた。
そうして、何度もお会いしているウチに私もジョンと仲良くなり、日本から持って行って食べなかったカップ麺を差し上げたりするようになった。
次に会った時には「あのヌードルおいしかったよ!家族みんなで分けて食べたんだ」なんて言ってくれた。
 
ある時、車にMGのミニ・スタックが積まれていて、そのことを尋ねると「イヤ、今日孫の誕生日なんだよ。だからMarshallをプレゼントしてやるんだ!」とうれしそうに答えてくれたこともあった。

Mg15ms 今では舞台が中国に移り、スッカリ規模が縮小してしまったようだが、かつては世界一の楽器展示会だった「MUSIK MESSE(ムジーク・メッセ)」が毎年ドイツのフランクフルトで開催されていた。
MarshallとFenderはロック楽器のカテゴリーでは最大の展示ブースを設営していて、ジムはそこでサイン会を催すために毎年参加していた。
ジムは車でやって来た。
イギリスから英仏海峡トンネル(Channel Tunnel)でドーバー海峡をくぐり。フランスに入り、ベルギーを経てフランクフルトに向かう、4か国を跨ぐドライブだ。
順調にいって9時間ぐらいかかるって言ってたかな?
この運転を担当していたのがジョンだった。
ジョンが私に仲良くしてくれたのは、毎年フランクフルトで1週間毎日顔を合わせていたこともあったろう。
そのフランクフルトに最初に行った時のこと。
展示会は朝の10時からが5時まで開いていて、販促品の準備やブース内の観客の整理などで結構忙しく、閉会した後、夜はみんなで会食するのが普通だったので、会場の外の様子をうかがうことができなかった。
私にとっては生まれて初めてのドイツで、どうしても街の様子が見たくなり、ある時会食を辞退してひとりで地下鉄に乗って街に出かけた。
次の日の朝、ブースでMarshallの連中にこのことを話した。
その中にジョンがいた。
すると、その話を聞いたジョンが急に怒り出してしまった。
最初はフザけているのかと思ったら、トンデモナイ!
かなり真剣に怒っているのだ。
「シゲッ、そんなことしちゃ絶対にイカン!フルンクフルトという街は世界で最も多様な人種が集まった危険極まりない場所なんだ。
Marshallのボーイズ(←確かにこう言った)も街へ行く時には何人かのグループで行くのがルールになっているんだよ。
それを夕方にひとりでノコノコ出かけていくなんて冗談じゃない!
二度としてはイケないよ!」
ビックリした。
12img_0499ま、「知らぬが仏」ということか?
期待して行ってみると暗くて何やらツマらない街だった。
サッサとホテルに帰ったためコワイ目には全く遭わなかったけど、ジョンの話を聞いて後でゾっとしたよね。
私が経験した大都会といえば、ニューヨーク、ロンドン、上海、東京ぐらいのモノだけど、確かにフランクフルトが一番コワイ感じはするな。
そもそも街の雰囲気が何となく冷たいんだよね。
でも思い出は楽しいことばかり。
1週間丸々Marshallの連中と過ごすので、Marshallという会社のことはもちろん、音楽のこと、イギリスのこと、英語に関すること…フランクフルトではずいぶん色んなことを教わった。
私、メチャクチャ一生懸命やるからすごく可愛がってもらったのよ。
とても懐かしいし、あの頃がもう二度と戻って来ないのかと思うととても寂しく感じてしまう。
12img_0494 ヒースローからMarshallの本社に行く時、M1という高速道路(もちろん無料)に乗って行くのが一番早いんだけど、時間によっては渋滞地獄でニッチもサッチもいかなくなってしまうので、地元のドライバーたちは信号がほとんどない下のような田舎道をグングン進むことを選択する。
この途中の景色が美しいのなんのって!12img_5658 こんな小さな村を通って行くのも実に楽しい。
そこである時、ハンドルを握るジョンに「イギリスの田舎は本当に美しいですよね」と言うと「イヤイヤ、シゲ、こんな景色で驚いていてはイカンぞよ。
ベルギーなんてココとは比べ物にならないぐらいキレイだぞ!」
私なんかにはコレで十分なんだけど、生まれた時からこんな美しい景色に囲まれて生活している人が「キレイ」っていうんだからベルギーも行ってみたいと思ったよ。12img_2771ジョンと撮った写真が一枚もない。
Marshallに来ればいつでも会えるから…とさして撮る必要を感じなかったのかも知れない。
それがある時、ジョンがジムより先にリタイヤするという話が伝わって来た。
それでも、またいつか会えるだろうと思っていた。
一枚でもいいから一緒に写真を撮っておけばヨカッタ。
もうジムもジョンもいなくなっちゃった。
 
今のMarshallの本社に勤めている若い人はジョンはおろかジムとも会ったことがないからね。
こういうことはチョットしたことなんだけど、私は「ジム・マーシャルと仕事をした最後の日本人」としてこうしたMarshallの歴史を書き残しておきたいと思うのである。
 
さようならジョン・ケント…色々とお世話になりました。Jk
 

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