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2018年3月28日 (水)

【訃報】さようなら、ケン・ブラン!

 
3月25日、ケン・ブランが永眠した。
熱心なMarshallファンの皆さんには「Ken Bran」の名前はよく知られているところであろう。
今日は急遽予定を変更して、Marshallの技術面を支えた創設メンバーの1人を偲ぶ。

10ジム・マーシャル、ダッドリー・クレイヴン、そして、ケン・ブランの3人の奇跡の邂逅がなければ、ロックの歴史を強烈に彩った「Marshall」という名のギター・アンプはこの世に生まれてこなかった。
そして、我々はあの歪みでギターを弾くことができなかったのだ。

20ケンは最初、ジムの楽器店にリペア・マンとして雇われた。
その後、ジムがロックの将来性に目をつけ、世界に通用する「ロックンロールのためのギター・アンプ」を開発するアイデアをケンに持ち掛ける。
そのアイデアに同調したケンは、すぐさま当時EMIに勤めていた天才エンジニア、ダッドリー・クレイヴンの引き抜きを提案し、ジムはそれを受け、ダッドリーの採用に成功。
ここから最初のMarshallアンプの開発が始まった。
下はそのMarshall発祥の地、ロンドンの西、Uxbridgeにあるジムの最初の楽器店の跡。
今は床屋になっている。
試行錯誤の末、3人はココでまずプロトタイプを5台製作。
しかし、評価は…「Close, but no cigar」。
つまり、「当たらずとも遠からず」というヤツ。(この英語表現は、「惜しいけど、賞品の葉巻は差し上げられない」…というタモリ倶楽部の「空耳」のTシャツみたいなモノ)
30そして、もう1台、すなわち6台目のプロトタイプの製作に踏み切った。
コレがバッチリとハマって、「Marshall」というギター・アンプのサウンドが決定した。
一般的な歴史ではこのサウンドを選んだのがピート・タウンゼンドということになっている。
1962年のこと。
コレがその時に制作された最初のMarshall、JTM45。

50この写真はイギリスのMarshallの工場にある、ミュージアムで撮影したもの。

60真空管がキレイなことでわかるように、現在でも立派に稼働し、リファレンス機として利用されている。
Marshallサウンドの原点が詰め込まれているからだ。

70「ロックンロール」という時代のニーズに見事に答えたJTM45に端を発し、1965年には世界で最初の100Wのギター・アンプ、「1959」を発表。
Marshallは快進撃を続けた。

8070年代のなかば、ロンドンのある楽器店から「Marshallと同一仕様の商品を別のブランドで販売したい」というリクエストを受け、実行に移したのが下の「NARB」。
ナゼ、こんなことをしたのかは、当時のMarshallの配給態勢が背後にある。その頃、Marshallは自分で自分の商品を販売することができなかったのだ。

90さて、ブランド名をどうするか…ということになって、「BRAN(ブラン)」とするのが何といっても手っ取り早い。
しかし、マズイ。
ナゼなら同名のシリアルが流通していたから。
「BRAN」というブランド名の採用は見送られた。

Serial その代案として採用されたのが「NARB(ナーブ)」。
「BRAN」の綴りを逆さにしたモノだ。

2100 ケンの記憶によると、NARBはたった24台しか製造されなかったそうだ。

140vモデルも1種類のみ。
コントロールにはトレモロが搭載されている。110リアパネルには「MADE IN ENGLAND BY NARB ELECTRONICS」と謳ってあるが、回路はJMP時代の1959のトレモロつきと同一だった。

120「Marshallと同じ仕様で…」というリクエストだったのだから問題はない。

130コレらの写真のNARBは山口県のMarshall Museum Japanに所蔵されている、世界的に大変珍しいモノだ。

135また、ケンの伝説として、The Guv'norがある。
80年代終盤に来日した際、秋葉原のラジオ・デパートに出向き、何やら電気パーツをバッグいっぱいに買い込み帰国した、
それからしばらくして、長い間封印していた「歪み系ペダルの製造を再開する」と日本に送られて来たのが初代のThe Guv'norのプロトタイプ。
その送られて来たサンプル中身を見ると、秋葉原で買ったパーツがふんだんに使われていた…という。
このことはもう何度もMarshall Blogに書いたが、コレが最後になるかもしれないな。
この話を教えてくれた、ケンを秋葉原に連れて行った方も先日若くしてお亡くなりになってしまった。

150私はケンに一度もお目にかかったことがなく、この伝説のMarshallの創始者の一角にどうしてもお会いしたいと常々願っていた。
Marshallの古株のスタッフにケンの所在を尋ねても誰も知らず、「ジムしか知らない」という話だった。今回わかったことなのだが、ケンはMarshallをリタイアした後は、ビジネスから退き、隠居生活を送っていたらしい。
ところが、チャンス到来!
2012年に開かれた「ジムの生涯を祝う会」にケンが出席されたのだ。
この時、「シゲはケンを知ってるだろ?」と、アメリカの年配の友人が私をケンにこう紹介してくれた。
「シゲはかつて日本でMarshallのディストリビューションをしていたんだ」…そう、この時が人生初の浪人期だったのです。
「お会いできる日を長い間待っていました」と自己紹介をする私の目をジっと見て、ケンは「そうか、そうか」とニコニコしながら私の話を聞いてくれた。
本当にうれしかった。
この写真は私の宝物のひとつだ。

170ダッドリー・クレイヴンも既にこの世におらず、これで「Three Wise Men」と呼ばれるジム、ケン、ダッドリーの3人すべてが鬼籍に入ってしまった。
 
このジムやケンを中心にしたMarshall黎明期のストーリーは、「音楽を作るための独自の道具」の開発物語であり、誰も、そして何も知らない「無」の段階から作り上げたところがあまりに偉大だと思うのだ。実際には、上で紹介した最初のMarshallは他社の商品をお手本にしたモノだが、目の付け所を大きく変えて、オリジナル商品に仕立て変えたと言えるだろう。
時代が時代だけに仕方のないことではあろうが、テクノロジーの進化を吸収して世に出て来る新しい楽器は、「技術」はオリジナルかも知れないが、「音楽を作る道具」としては、どこか違う方向へ進んでいるような気がしてならないのだ。
そう、Marshallはアンプという道具を通じて「ギターのサウンド」そのものを作ったのだ。
こんな時代だからこそ、弾き手の方々には「ホンモノ」の、あるいは「オリジナル」の素晴らしさと優位性を十分に知っておいて頂きたいと感じる。
  

下の写真は50周年の時、工場に訪れたケンをキャッチしたモノ。
アメリカのニック・ボウコットからお借りした。
偉大なるエンジニアのご冥福を心からお祈り申し上げ、最後にニックの言葉をそのまま転用してケンにお別れ告げたいと思う。
ケン、どうもありがとう!
  
REST IN PEACE, KEN, AND THANK YOU, SIR: THE ROCK WORLD LITERALLY WOULDN'T BE THE SAME WITHOUT YOU - Nick Bowcott
(安らかにお眠りください、ケン。ありがとうございました:文字通り、アナタがいなければ今のロックの世界は別のモノになっていたことでしょう - ニック・ボウコット)

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(一部敬称略  ※写真提供:Mr. Nick Bowcott - Thank you very much, ADMF!、Marshall Museum Japan