マーシャル・ブログ博物館 第4回:工場ミュージアム<その4>
Marshallの「工場ミュージアム」の紹介はまだ続く。
今回はエントランス正面2階の下手側。
下手側にもショウ・ウインドウが設置されていてギターが展示されている。
ギターの下にポコっと置いてあるのは「"DE LUXE" OUTPUT TRANSFORMER」の箱。
古いイギリス製のトランスだ。
ナンでコレだけこんなところに置いてあったのかね?
このウインドウは異動が頻繁で、ある時はこんな感じだった。
左の赤いVシェイプはケリー・キングからのモノでサインの傍らには「Marshall Rocks!」と入っている。
青と黒いVはともにデイヴ・ムスティンから。
「50」と入っているエクスプローラー・シェイプは既に紹介した創立50周年記念コンサートの時に先日亡くなったフィル・キャンベルが使っていたギター。
右端のレスポール・シェイプのギターはMarshall製…こんなのあったっけかナァ?
マルコ・メンドーサ他のサインが入っている。
ギターの下にはハンドワイアード他の基板を展示している。
下は2012年9月、50周年記念コンサートを直前に控えてBBCが取材に来た時のもよう。
大変カンタンである。
インタビューを受けているのは長年にわたってリペア・サービスを担当していた「フィル・ウェルズ」。
Marshall Blogでロング・インタビューを掲載したことがあるので古くからの読者はこの名前に聞き覚えがあるかも知れない。
翌朝、さっそくこのインタビューが放映されていた。
それではひとつずつ展示品を見ていこう。
まずはポール・ウェラーのシグネチャー・モデル「1987X-PW」。
ポールやジムのサイン入り。
このモデルは「1987」と謳っているが、元は1973年から1976年までの間に通信販売されたギターとベース兼用の50W、2x12"コンボの「2100」だ。
ポールの50歳を記念して世界で50台だけ生産し、その売り上げのすべては「Childline」という恵まれない子供のためのチャリティ団体に寄付された。
ポールは長い間「2100」を愛用していて、2009年に来日した時も持参していた。
下の写真でポールの背後に見えているのがソレ。
この時、私の方からはNATALを貸し出した。
そこでMarshall Blogの取材をさせてもらったのだが、この時は本当に驚いた。
会場はZepp Diver Cityでリハーサルの最中にお邪魔すると、マネージャーが私が到着したことをポールに伝えてくれた。
するとポールは曲の途中で演奏を止め、ステージから降りてホールの後方にいた私のところに歩み寄り、自分が使うワケでもないのに丁寧にNATALの貸し出しに対するお礼を述べてくれたのだ。
コレには本当にビックリした。
洋の東西を問わずそんなことをしてくれる人はまずいないからね。
下はその時にもらったピック。
そういえば、開演前に私に話しかけて来た比較的ご年配の白人ご夫婦がいた。
オジさんは会場の設備についてしきりに私に尋ねていたが、そのウチ聞くとはなしに自分たちのことを語り出した。
何でもその2人はポール・ウェラーの大ファンで、ポールが行くところ世界中どこでもくっついて回っているというのだ。
グレイトフル・デッドの「デッド・ヘッズ」みたいなもんね。
一体何の仕事をしているのか気になったが訊かなかった。
とにかく世界には色んな人がいるもんだ…と思った。
その隣りの白い「1962」。
なつかしい…。
2003年、Marshallの40周年を記念して自動車の「ジャガー」とコラボレイトした完全手作りの逸品。
世界で30台だけ作られた
Marshallの工場である段階まで組み立て、コヴェントリーにあるジャガーの工場に移送し、そこで車のシートに使われる本革を用いてカバリングが施された。
この記念モデルは発表となる前、Marshallの創業40周年を記念するパーティが開かれた際に関係者にお披露目された。
下はその時に撮った写真。
スピーカーには「JTM45 Offset」の時のCelestion製アルニコ・スピーカーを搭載。
シャシやパーツはギンギラギンのゴールド・ミラー仕上げ。
当然のごとくかなりのお値段で£5,000の値(今の為替レートで107万円)で売り出された。
Marshallはこの30台をインターネット上の世界規模の抽選を通じて販売した。
あくまでもファンの間の公平を期すためだ。
クジを引いているところを見ることはできなかったが、日本の方が当選した場合にはMarshallから応募者と私に連絡が来ることになっていた。
そして、その当選者が購入の意思を表示した場合には私がMarshallの代理人として当選者と連絡を取り合い、販売を担当する楽器店の間を調整するという段取りだった。
そしてある日、「シゲ、日本人が当たったゾ!」という連絡がMarshallから入った。
しかし、その当選者は経済的な理由で購入を辞退してしまった。
なんせあのお値段だからネ。
それからほどなくして、また「日本人に当選した」という知らせが来た。
ご当選されたのは中京地区の方で「ま、こんなことは滅多にないでしょうから頂いておきますわ~」とスパっとご購入を決意されてワザワザ東京までお越し頂いてご購入頂いた。
だからもしそのお客さんが手放して海外に流出していなければ、また誰かが海外から持ち込んでいなければこの「40周年記念Bluesbreaker」はたった1台だけ日本に存在していることになる。
ちなみにイギリス人は「Jaguar」を「ジャガー」とは発音しない。
綴り通りハッキリと「ジャギュア」と発音する。
ところでこのMarshallの創業40周年を記念した式典については、Marshall Blogにも詳しく書いたことがなかったように記憶している。
私はラッキーなことにその40周年記念の式典と50周年記念コンサートの両方に出席した唯一の日本人なのだが、恐らく今のMarshallにも同じ経験をした人はほとんどいないのではなかろうか?
2012年の「ウェンブリー・アリーナ」での50周年のコンサートに参加した人は今でも何人か工場に残っているが、40周年の式典の時にはMarshallの社員でもごく限られた人しか出席できなかったからだ。
その点、2002年当時私はディストリビューターだったので「来賓扱い」で出席することができたというワケ。
下がその時にジムと撮った写真。
テーブルの散らかり具合でかなり盛り上がったことが想像できよう。
「40周年を記念する式典」と聞いて、そこは「世界のMarshall」…Marshallを愛用するブリティッシュ・ロックの大物が大挙してやって来ることを想像して臨んだ。
が、その期待は大きくハズれた。
会場は下の写真にある「Wilton Hall」という本社の近くの貸しホールで(写真は10年後の2012年の撮影)、そこに世界中のMarshallの関係者が集まって食事をし、創業40周年を祝う…という簡素な内容だった。
日本のこういった行事となると、ヤレ社長の挨拶だ、ヤレ来賓の挨拶だ、ヤレ祝電の披露だ…となるのが式次第の相場だ。
向こうの人はコレを指して「So mamy speeches!」とイヤがるのが普通なんだけど、この時は……やっぱりそういう儀式が一切なかった。
司会もなし、どころか確かジムの挨拶もなかった。
食事はビュッフェ形式で、「カンパ~イ!」も「いただきます!」もなく、何となく食べ始めちゃう。
それでも気になるミュージシャンのゲストは、「アイアン・メイデン」のメンバーが来ていたぐらいだったかな?
確かブルース・ディッキンソンは来ていなかったと思う。
それから「ポール・ロジャース」からお祝いのビデオ・メッセージが届いていた。
会場内にはステージがあって、Marshallのデモンストレーターや社員によるバンドの演奏が繰り広げられた。
リチャードというベラボーに歌のウマい社員がいて「Smoke on the Water」を歌っていたっけ。
こうした西洋の正式な式典の場ではタキシードやイブニング・ドレスで着飾った映画に出て来るような紳士淑女に囲まれて、日本人はどうしても強いコンプレックスを感じてしまうのが普通だろう。
私も何度か経験があるが、アレだけは本当にイヤだね。
しかしこの時はジムがそういうかしこまった雰囲気を好まなかったため、参席者はみな平服で参加していた。
それでも、同じテーブルに着席した当時のフランスのディストリビューターの社長夫人のいでたちにはド肝を抜かれた。
巨大にして華美な帽子を頭に乗せたその夫人の姿はまるで「ロイヤル・アスコット」にやって来たセシル・ビートンがデザインしたドレスで着飾った「イライザ・ドゥーリトル(=オードリー・ヘップバーン)」そのものだった。
でも、まったくおかしくないんだよね。
日本人があんな帽子をかぶったらハロウィンのコスプレとしか思えないだろうけど、本物のマドモアゼルにはとてもお似合いだった。
ま、そうして見てくれに関しては一切肩身の狭い思いをすることはなかったのだが、好事魔多し、意外なところで恥をかくことになった。
それは宴もたけなわになった頃のこと。
誰かがある歌を歌い出した。
それは英語の歌の中で「Happy birthday to you」に次いで世界で2番目に頻繁に歌われている曲で、誕生日や誰かを祝福する時に歌われる。
この場合の「誰か」とはもちろんジム・マーシャルのことだ。
やがてそこにいた人たち全員が立ち上がってその歌を大声で歌い、前の人の肩に両手を置き輪を作って長蛇の列を組み上げて「ジェンカ」のように会場内をグルグルと回り出した。
もちろん私もその曲をよ~く知っていた。
だから私もその輪に入って声高らかにジムを称えたかったのだが……歌えない。
歌詞がわからないのだ。
そして恥ずかしいことにその場で歌うことができないのはどうやら自分ひとりだけなのだ!(同行した日本人は対象外)
かといってニコニコと口パクで歌っているフリをしながら輪に加わるのも大きな屈辱ではないか。
仕方なくみんなが盛り上がっているのを横目で見ながらワインをチビチビと口にしてその場をやり過ごしたという次第。
情けないったらありゃしない。
みんなが楽しそうに歌っていたのは「For He's Jolly Good Fellow(彼はいいヤツだ)」という曲だった。
「For he's a jolly good fellow
For he's a jolly good fellow
And so say all of us
(彼はすごくいいヤツだってみんなそう言っている)」
知ってるでしょ?これだけの歌なのに手も足も出ないなんて…。
「郷に入れば郷にしたがえ」で、先方の文化を知って海外の人と付き合うべきとエラそうに日頃から思っていた私にとっては思いがけずこの宴席が針のムシロになった。
下もこの時に撮ったジムとデイヴ ’バケット’ コルウェルの写真。
バケットはかつてバッド・カンパニーのメンバーだった。
2人の後ろにいるのは24年前の私。
しかしこの写真、一体誰が撮ったんだろうナァ?
元に戻って…
コレ、私が思うにMarshall史上最もMarshallの製品に見えないモデルだと思うんだけどどうだろう?
「SRXシリーズ」というPA用の150Wアンプ・ヘッド/6チャンネル・ミキサー。
名前は妙だわ、色合いはおかしいわ、パーツのデザインも変だわ。
「Marshall」のロゴだってまるで隠すようにして小さく入っている。
本当にMarshallの工場で作っていたのかしらん?
リア・パネルのようす。
これは試作機なのかな?
販売していたのは1987年から1991年の間で、こんな感じでスピーカーを組み合わせていたようだ。
このスピーカーがまた全くMarshallらしくない…ように思える。
100Wの1x12"が「6121H」、 150Wで 1x15"が「6151H」という型番だった。
型番もヘンだわ。
まるで戦時中の無線機のようなルックスのPA用アンプ。
このモデルは100Wが「2009」、50Wが「2010」、20Wが「2011」とされていた。
販売していたのは1968年から1971年まで。
「KITCHEN」バージョンも生産していた。
「KITCHENS」は北イングランドを主に商売をしていた楽器店で、1966年頃、ジムやローズ・モーリスに依頼して自社のブランド名を冠した製品の生産してもらっていた。
そこでPA用のアンプを主体にブランド展開したのが「KITCHEN-MARSHALL」だ。
しかし、KITCHENSが本業で販売していたのがMarshallやPARKの商品だったので、たとえ自社の名称が使われていてもほぼ同じ商品を売ることに意味が見出せず、結局短期間のうちに消滅してしまった。
それゆえ「KITCHEN Marshallは」レア度が高く、下の工場に展示しているアンプは最後に作られたモノであるらしい。
1967年に発表した100WのPA用アンプヘッド「Master P.A. 2003」と4x12"のコラム・スピーカー「1969」の組み合わせは「100-WATT SET-UP」と呼ばれた。
「Set Up」というのはローズ・モーリス流の「Stack」呼び方だ。
当時、この辺りのPA用のアンプはワッテージ違い、インプット違いでたくさんのラインナップを備えていた。
それだけPAシステムの需要が高かったということであろう。
「KITCHEN」が出たところで「Park」を見てみよう。
「Park」はローズ・モーリスとの契約から離れてバーミンガムの「ジョニー・ジョーンズ」という友人のためにジムが生産したMarshallの傍系ブランド。
「ジョーンズ」という名前ではパンチが効かないのでジョニーの細君の「パーク」という名前を冠した。
コレも75WのPA用アンプ「1001」。
2x12"のコラム・スピーカーは「1017」。
この青いフレット・クロスもいいネェ。
実に涼しげだ。
「コンビネーション・アンプリファイヤー」という宣伝惹句で売り出した1x15"コンボ「1018」。
出力は25W。
そこで「大音量を必要としないギタリストであれば、コレ1台で必要な機能がすべて手に入ります」と謳った。
ナニが「コンビネーション」でナニが「必要な機能」かというと、トレモロとリバーヴが搭載されているのだ。
この時代の人が今の巷間のデジタル・アンプの多機能を知ったら一体ナンて言うだろう?
「へへん、それがどうした?音の良さなら負けないよ!」って言うんじゃない?
ロゴがハズれてしまっているが、ヘッドは「Park45」と呼ばれる「JTM45」のシャシを90度回転させてキャビネットに収めたPAアンプ。
だから出力は30Wということになろうか。
極めて珍しいモデルで、このアンプが製造されたのは1968~1969年ぐらいのようだ。
組み合わされたコラム・スピーカーには 12"のスピーカーが2台搭載されている。
背面はハーフ・オープン。
このフレット・クロスも実にいいね。
ケン・ブランは「Marshallの余剰パーツを使ってParkを作っていた」なんて言っているけど、イヤイヤ、ルックスに関して言えばParkもゼンゼン素晴らしいんじゃないですか?
6インプット、100Wのミキサー・アンプ「1220」。
しかし色んなことをやっていたんだナァ~、感心しちゃうわい。
50W、1x12"のギター用フルヴァルブ・コンボ「1239」。
1970年代後半に流通していたモデルで、ベース用が「1238」というモデル・ナンバーだった。
8W、1x8"のトランジスタ・アンプ「1230」。
もうコレなんかは「Marshall感」がゼロだね。
少年マンガ雑誌の表3の通信販売の広告に出ていそうな見た目だ。
「ギュイィィィィン!キミも1日でギターが弾ける!」みたいなヤツ。
お揃いでベース用も用意されていた。
ところで…。
もう今の若いギタリストの皆さんは「Park(パーク)」なんてご存知ないでしょう?
下の写真みたいなヤツ。
え?MarshallのMGシリーズのニセモノじゃないかって?
イヤイヤ、チャンとしたMarshallの商品だったんですよ。
かつてあった「Park」とは丸っきり無関係にMarshallが1993年に立ち上げた海外生産の汎用モデルのラインナップだった。

Parkシリーズが始まった1993年当時の広告、「PARK SON OF MARSHALL」。
マッド・サイエンティストのJCM900が息子を創造した…それが「Park」。
コレには『ロッキー・ホラー・ショウ』の「ドクター・フランクンフルター」のイメージがあるのかも知れないね。
ところが、Parkの購買者層はいくらMarshallの息子とはいえ「Park」などという見知らぬブランドに興味を示さず、商売はあまりいかなかったらしい。
コチラは当時のParkがデビューした1993年の雑誌広告。
「見た目はチョイと違うけどParkはMarshallですよ~!」と懸命に主張している。
最早、完全にMarshallのコバンザメとして、商品の良さよりも手っ取り早く「Marshallの血脈ですよ」ということを押し出した。
下は1997年からスタートした第2世代のParkシリーズの一番小さい10Wモデル「G10 MKII」。
もう自らが「Park by Marshall」と「Marshall」の名前を謳い出しちゃった。
その甲斐があってか、日本では「ジーテン」と呼ばれ、大ヒット商品となった。
「Marshall」というとステージでスポットライトを浴びる大型アンプにどうしても注目が集まりがちだが、実はギター初心者のキッズの皆さんが手始めに手に入れるこうした練習用の小型アンプはMarshallの重要な商品なのだ。
そしてParkシリーズは2002年になると再びフル・モデル・チェンジをする。
Marshall社内では「MGIII」と呼ばれていたこのPark第3世代ではいよいよ「Park」の名を取り除き、「Marshall」のロゴ・サインをまとうことになった。
「ParkがMarshallになる?!」…発表に先駆けてMarshallからこの知らせを受け取った時はかなり驚いた。
もちろんMarshallファンの間でも大きな衝撃となったハズだ。
ナゼ初めからこうしなかったのか?…実はジムはイギリスで生産していない製品に「Marshall」という名前をつけることをイヤがっていたからだった。
この「MGシリーズ」の売り上げはビックリするほど好調だった。
オモシロイほど売れに売れた。
いい時代だった。
実際、「FDD回路(Frequency Dependent Damping)」という真空管アンプのサウンドを模すための新機能を搭載した商品自体もとても良い出来だったと思う。
「Park」つながりで「CMI」。
30Wの「Master Lead Tremolo」は「1070」。
このアンプ、珍しく10"のスピーカーを3台搭載している。
CMIは「Cleartone Music Instruments」の略称でParkの販売をしていた会社。
MarshallはそのCMI向けのOEM商品を生産していたが、ラインナップはParkと大差なく、同じ会社が異なる名前の同じ商品を販売するという妙な形態となってしまったため、KICHEN Marshallと同様にCMIのアンプも1976年~1977年と短命に終わった。
<つづく>
