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2025年12月17日 (水)

BARAKA:平石正樹追悼ライブ<後編>~依知川伸一展「Root」

 
Zepp新宿からお送りしているBARAKAの『平石正樹追悼ライブ』レポートの<後編>。Img_4862ショウも中盤を過ぎ「Maverick」に続いて演奏した曲は大作中の大作、『BARAKA VII』収録の「Bharmad」。
冒頭は5/4拍子のシャープなバンド・アンサンブル。670バリエーション豊かなリズムの上をダイナミックなメロディが滑走していく。118a0434 合間に組み込まれるベースのピックアップ・ソロが実にスリリングだ。118a0810とても3人で演奏しているとは思えない濃密なバンド・アンサンブルが劇的に場面を変化させていく。
これぞBARAKAスタイルの真骨頂!
700そのまま磯部さんのドラム・ソロへ。720マックス・ローチではないが、ドラムスのために作られた曲を演奏しているかのようなソロ。730v0そして、磯部さんが打ち出すワルツのリズムに依知川さんがソフトにベースを重ねる。740ギター・ソロ。
ワウワウ・ペダルを踏んだ導入部から一生さんのギター世界が際限なく広がっていく。750v今日もギター好きなら誰もがワクワクしてしまうような魅惑のMarshallトーンを聴かせてくれる一生さん。
ステージに上がっているのは…50Wヘッドの「1987X」、35周年記念モデルの「1959WSP」、Celestionグリーンバック搭載の4x12"スピーカー・キャビネット「1960AX」だ。008a0006 ベースのソロを経て…760またまた場面が替わりハードなバンド・アンサンブルに。
レゲエのリズムも取り入れながら、尚もいくつかの情景を演出して感動のエンディングに突入する。770まるでグスタフ・マーラーの交響曲を聴いているかのよう。
20分を優に超す大作を完璧に仕上げた3人に大きな歓声が送られた。
コレがBARAKAだ!
780v 790v 800v「さて、本日の主役…MAXに登場してもらいましょう!
うしろのLEDビジョンにMAXがヒョイと出て来ますんで、MAXの手元とか、表情とか、楽しんで頂けたらうれしいです」
そういえば、メンバー紹介の時、一生さんはいつも「マ~ックス!」と何度も大声で叫んでいたっけ。
810v依知川さんも平石さんと行動をともにしたツアーの思い出を付け加えた。
「BARAKAは2000年から20年間、コロナ禍まで毎年海外ツアーをしていました。
ヨーロッパの国はほとんど全部回りました。
ある時はスペインを南の方まで、それからハンガリーとか、北欧のチョット東の方まで行きました。
アジアだとタイ、インドネシア、韓国、オーストラリアもツアーしました。
オーストラリアで1つのベッドに3人で寝たこともありました」820vいよいよ平石さんのご登場。
ステージ奥のスクリーンに平石さんのドラム・ソロのビデオが映し出される。830私はこの日の7カ月前に下の平石さんの雄姿を撮影したばかりだった。
9月にこのMarshall Blogは2,500回目の更新を迎え、いつもご登場頂いている皆さんに献辞をお願いしていた。
もちろん依知川さんと一生さんにも声をかけていたのだが、締め切りの日を過ぎても送って来てくださらない。
誠実なお2人が依頼を無視することは考えられないし、BARAKAのメンバーからのメッセージが欠落してしまうのは寂しいので仕方なく催促の連絡をした。
すると、一生さんから聞かされたのが「実は…一昨日平石が亡くなったんですよ」という訃報だった。
今までにも思いもかけない不幸のお知らせを受け取ったことは何回かあったが、この時は心底驚いた。
それはその時からたった4か月前に快活にドラムスを演奏する平石さんの姿をこの目で見ていたからだ。
840スクリーンに映し出された平石さんが叩くドラムスに合わせて「Superior Force1」と「Suprior Force2」を演奏。850オリジナルBARAKA、しばしの復活だ!860 870 880「今日は本当にありがとうございました!
最後に新曲をSHINとボクの2人で演奏してみたいと思います。
タイトルは『Thanks for Max』」890vお客さんの頭上の大きなミラー・ボールに照明が当てられて…900幽玄な演出の中で披露したバラード。
890一生さんは切々たる想いを激しくギターに込め…1065v 依知川さんの雄大な低音が全体を包み込む。118a0865 刎頚の友を失った2人が情念を湛えて演奏した1曲が満場のお客さんの胸を打った。930演奏後、手を合わせた一生さんと依知川さん。
「これからは2人でBARAKAの音楽を創っていくぞ!」という決意の表れと私は見て取った。008a0281_22人がステージから離れると「Atlantic」の音源に乗せて平石さんと…950BARAKAの3人の姿が映し出され…960BARAKAの『平石正樹追悼ライブ』の本編が静かに幕を下ろした。970コレは<前編>で紹介した会場に設営された写真展の中の1枚。
25年前だからBARAKAが結成して3年目。まだ初々しいね。
平石さんが37歳の時。
平石さんが食べているのはソフトクリーム?
ツアー中の1枚かな?
990コレは海外へ行った時かな?
仲間っていいナァ。
しかし、こうして同じ目標を掲げた友達とひとつのことに長年取り組み続けるなどということは、普通の人には経験できないことだ。
毎日のようにSNSに投稿されて来る、やれ「脱退」だの「解散」だの…若いバンドの皆さんはBARAKAの爪のアカを煎じて飲むべきなのでは?
BARAKAの28年もの長い間には意見の食い違いもあったであろうし、様々な困難に遭遇もしたことでしょう。
それをBARAKAは3人で乗り越えて来た。
しかし、これからは依知川さんと一生さんの2人でBARAKAの歴史を刻んでいってくれることであろう。
980アンコールではこの日に出演した5人全員がステージに上がった。1000一生さんがブルージーなギターを弾き出すと、それはやがて「Smoke on the Water」のリフとなった。1010vもちろん歌は依知川さん。1020ドラムスは西川さんが先行。1030v稲垣さんのソロ。1040vその間にドラムスが磯部さんにスイッチ。1050v依知川さんも…008a0314 一生さんも入魂のソロをキメた!008a0326 こうして「BARAKAのドラマー」平石正樹を偲ぶコンサートが終了した。1070「MAX Always with BARAKA」と書かれたバナーをステージに向けるお客さんたち。1080_2客席から大歓声が送られ感動の一夜は終了した。
 
改めまして稀代の名ドラマーのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。
そして、これからもBARAKAの発展を大いに期待しています。
 
BARAKAの詳しい情報はコチラ⇒BARAKA Official Web Site008a0339

  
★★★依知川伸一展「Root」★★★

多数の厨房器具店が軒を連ねていることで世界的にその名が知られている「浅草合羽橋」からほど近いところにある大正2年創業の乾物問屋「萬藤」。Aこの見事な勘亭流のPOP!Bコレはお店の主のおバアさんが趣味で筆を揮っている。
イヤ、商売で使っているので決して趣味ではないのだが、とにかくお見事。
私はココで取り扱っている新潟の「葛切り」が大好きでしてネェ。
Cそして、私も「筆が使えたらいいナァ」なんて感心しながらこのPOPを眺めた時に必ず思い出すのがBARAKAの依知川さんのこと。Dv「依知川風人」の雅号を持つその依知川さんが去る12月2日から7日まで「Root」と題した個展を開かれたので今回もお邪魔して来た。
何せ私は依知川さんの書道家っぷりに憧れてお揃いの万年筆を買ったぐらいですからね。10また、根岸にある「書道博物館」にも行って来た。
10年前、D_DriveのSeijiさんの紹介で「書道家」としての依知川さんと出会っていなければまずこんなところには来なかったであろう。
ココは「中村不折(ふせつ)」という明治の書道家の家があったところで、不折の作品の他に明治の元勲の書や古代中国の石碑がたくさん展示されている。
不折はのちに画家となり、漱石の『吾輩は猫である』や島村の『若菜集』の挿絵などを手掛けた人。
  まだあげ初めし前髪の
  林檎のもとに見えしとき
  前にさしたる花櫛の
  花ある君と思いけり
いいネェ~。
古今東西、後にも先にも私が諳んじることができる詩はこの『若菜集』の中の「初恋」と、同じく藤村の『千曲川旅情の歌』ぐらいのものよ。
それも自分で読んで覚えたワケではなく完全に「門前の小僧」で、幼い頃にしょっちゅう母がこれらの詩を口にしていたので自然に「音」で覚えてしまった。
伊藤佐千夫の『野菊の墓』の挿絵も不折の仕事だ。
そういえば佐千夫も千葉の山武市の出身だ。だから『野菊の墓』には松戸だの市川だのが出て来る。
佐千夫は元々は酪農家で明治の昔には錦糸町の駅前で牛を飼っていたそうだよ。
市川といえば、幸田露伴や永井荷風や井上ひさしも一時期真間の辺りに住んでいた。
ナンの話しだ?…イヤ、ココは依知川さんのコーナーなので千葉っぽくしてみたというワケ。
Img_5050博物館の向かいにあるのがコレ。
「子規庵」と呼ばれる正岡子規の終の棲家で一般に公開されている。
オリジナルは戦災で焼失してしまったので、コレはお弟子さんたちが戦後に再現したもの。
不折は子規や漱石ととても仲が良かったそうだ。
Img_5054 今回は個展の会場にお邪魔する前に近所をブラつきます。
ココは東銀座の「三原橋」。
もう橋も川もないが、この下にはその昔「三十間堀川」という、その名通り川幅が三十間(約55m)もある大きな川が流れていて、そこに架かっていた橋のひとつが三原橋だった。
戦後GHQの意向で空襲によって生じた瓦礫を三十間堀川に投棄して埋め立てられてしまった。
私が映画を観にこの辺りによく来ていた50年ほど前はまだ親柱が立っていて「橋」の面影が十分に残っていた。
傍らの半地下のスペースには映画館と飲み屋が入っているような小ぶりのアーケードがあった。20_31951年(昭和26年)、成瀬巳喜男監督、田中絹代主演の『銀座化粧』という作品がある。
敗戦から6年後の映画だ。
Gk その中でこんなシーンが出て来る。
絹代さんが「堀雄二」という俳優に銀座を案内している場面。
絹代さんのセリフ…「この辺、『三十間堀』と申しまして埋め立てない前は、夜など両側のバーや喫茶店の灯が水に映ってとってもキレイでございましたわ」
2人が歩いているところが三十間堀川だったんだろうネェ。
見てみたかったネェ。
30r「コレがその橋の名残ですね?」と堀雄二が絹代さんに質問するのが下の写真。
すなわち「三原橋」だ。
写真中央の奥に見えているのは銀座4丁目の「服部時計店」。
映画をよく見ると橋の下で人が動いているんだよね。
多分、「丹下段平」みたいにココで暮らしていた人たちだろう。
Mhb_2ついでに…「今度できましたお風呂屋さんです」と絹代さんが説明するのは「東京温泉」というどデカイ風呂屋のビル。
ナニせ「温泉のデパート」なんて言ってるからね。
「トルコ風呂」なんて看板が堂々と掲げられているところがスゴすぎる。
74年前の銀座の真ん中には、こんなものがあったというのだから驚きだ。
イヤ、もっと驚いたのは、この施設は1993年まで営業していたというんだよね。
1970年代、映画が大好きで毎週のように銀座や有楽町に通った私が全く知らないのはどういうワケだ?
子供だったからか?30r3この「東京温泉」における「トルコ風呂」が後のソレの語源にはなったらしいのだが、実際には「サウナ風呂」のようなモノだったようだ。
「トルコ風呂」はロンドンにだってあったからね。
下は1963年にリバプールから出て来たビートルズが春から秋まで投宿したことで知られる「ラッセル・スクエア」にある「プレジデント・ホテル」。
このホテル、冷房がないんだゼ。
私が宿泊したのは6月の初旬だったけど暑かった~。
窓は開けっぱなし。
でもイギリスには蚊がいないのでヘッチャラ。
ちなみに蝉もいないので、それを意味する「cicada(シケイダ)」という英単語を知らないイギリス人もいる。Img_9020このホテルを出てすぐのところの歩道に埋め込まれている標識。
これは「Turkish Baths Arcade(トルコ風呂商店街)」の場所を指し示しているんだけど、ヴィクトリア女王の頃にオープンして1947年まで営業していた「トルコ風呂」が近くにあったので、そのアーケードがそう呼ばれたのだそうだ。
やっぱりサウナ風呂のようなモノだったらしい。Img_9010コレは約2週間前に三原橋のすぐ近所で撮った写真。
決して『銀座化粧』の1シーンではない。30_3銀座にはまだこんなところがあるんですよ!
「レトロスペクティブ」なんて言葉ではとても表現しきれないほどビンテージな光景を目にして仰天してしまった。
この階段なんか今にも絹代さんが降りて来そうだもんね。
40さて、こんな本のカバーを見たことがありますか?
コレは「改造社書店」という本屋のカバーね。
波だか山だか知らないけど、こうしてみるとなかなかステキな意匠だな。
こういうモノのことを「ブックカバー」って呼んでいるようだけど、コレは和製英語なので要注意ね。
「book cover」というのは英語圏では「表紙」を意味する。60s2018年の『Mary Poppins Returns』に「A Cover is not the Book」というとてもステキな挿入歌がある。
コレ、「表紙は本じゃない」という意味。
ね、「cover」は「表紙」なんですね。
「ジュリー・アンドリュース」のポピンズ先生なら吹き替え無しで歌っても何ら驚く必要はないが、この作品の「エミリー・ブラント」のポピンズ先生も自分の声で歌っているそうです。
それがベラボーに魅力的な声なの。
向こうの役者は本当に芸達者だ。Mpr さて、そのカバーの書店の「改造社」の本社が東銀座の昭和通り沿いにある。50vいつ建てたビルだか知らないけど、堂々たる古さだわね。
1階は小売り店、すなわち「本屋」なんだけど、この「改造社」というのはかつては『改造』という総合雑誌で社会的な地位を確立し、「岩波書店」や「中央公論社」の向こうを張る出版社だった。
何せ芥川龍之介、志賀直哉、谷崎潤一郎、林芙美子、火野葦平らが寄稿し、アルベルト・アインシュタインやバートランド・ラッセル等を招聘したというのだからスゴイ力を持っていた。
湯川秀樹はその時のアインシュタインの講演を聴いて物理学の道を歩むことを決心したんだってよ。Img_5575とっくの昔に出版業からは撤退し、「書肆(しょし)」なんて言い方があるけど、今は10以上の店舗を擁する本の小売り業に徹している。70_2昭和通り沿いを新橋方面に進んだ左側にあるのが「J-POWER」。
カッコつけずに言えば「電源開発」の社屋がある。
昔、セメントの仕事をしていた時によくダムの仕事で「電源開発」という名前を耳にしたものだったよ。
80_2この地には佐久間象山の私塾があったのだそうだ。
「象山」ったって「ぞうさん」じゃないよ、「ぞうざん」ね。90_2この人が象山。
パッと見るとチョットしたファンキーな音楽でも演っていそうだけど、この人は吉田松陰やら勝海舟やら坂本龍馬に薫陶を与えた幕末の信州松代藩出身の思想家。Zz_2 で、長野の松代へ行くと「象山神社」というのがある。
私は徳川ファンの佐幕派なので、あんまりジックリは見ては来なかったけど、松代藩といえば最初の藩主が「真田幸村」のあんチャンの「信之」ですからね。
松代自体は見どころが多く、「真田宝物館」なんてのもあるし、池波正太郎の『真田太平記』あたりを読んで行けばオモシロイところですよ。100でも松代で一番オモシロイのはコレ。
戦争末期、大本営を移転させようとして掘削した地下壕。
入場無料。アホほど奥に深い。
この中でひとりになってみな…コエ~のなんのって!
コレが住宅街の中にポコっとあるんだから驚き。110_2寄り道終了。
その電源開発の裏辺りにある「兜屋画廊」で前回に引き続き依知川さんの個展が開催された。120v開催初日。
「お邪魔します!」
「いらっしゃいませ!」と依知川さんにお迎え頂く。
0r4a0029今回のテーマは「音」。
「音」、「OTO」、「Sound」…「音」という文字と音をモチーフにした作品が展示された。
加えて「無」という作品も見受けられた。
「無」といえば…
0r4a0009コレは鎌倉の「円覚寺」にある「小津安二郎」さんのお墓。
ご本人の意思で墓碑銘を「無」としたことはつとに知られている。0r4a0128_2そう、依知川さんも筆を揮う時には何も考えず「無」の心境で臨むのだそうだ。150そして「Root」。
音楽用語としては「基音」のこと。音程で言えば「完全1度」。
やはり「音」をモチーフにした作品と言えよう。
パっと見ただけで基音の安定感が伝わってくるような力強い筆運びだ。
160前回コラボレーション展示をした版画家「土屋金司」さんが描いたベースを弾く依知川さんの姿をご自身の揮毫と合体して作られた一作。170v_2この「楽」や…
200vとなりの「OTO TO OTO」も同様の手法で生み出された作品。
土屋さんは千葉の旭市にご在住だったが、今夏、惜しまれつつ他界された。
これらの作品に込められた依知川さんの土屋さんへの想いは容易に計り知れよう。210コレは完全に脱線なんだけど、こういう本をブックオフで見つけた。
腰巻の惹句に誘われ、また出版元も岩波書店だったので買って読んでみた。
『飼い喰い』…要するに生まれた時から飼った3頭のブタを最後には自ら味わってみよう、というルポタージュ。
普段から口にしている豚肉や豚について、知らないことがあまりにもたくさん載っていて存外にオモシロかった。
この本の舞台が土屋金司さんがお住まいだった「千葉県旭市」なのだ。
コレも本を通じて知ったことだが、旭市(銚子の西となり)というのは養豚のメッカなのだそうだ。008a0001 今回は依知川さんが描いた絵も複数展示されていた。
190vプレシジョン・ベース、ジャズ・ベース、スティングレイ…やっぱりどうしてもベースがお好きなのね~?
どの作品もとてもいい味が出ていると思う。
そしてそれらの中心が「Root」なのだ。
180_2「星」、「三」、「光」という揮毫。
「三」には「BARAKA」というタイトルが付けられていた。240v_2今回のリード作品「Root」を前見頃にあしらったオリジナルTシャツも販売。230_2音楽に、書に、地域の活動に大車輪で活躍する依知川さん。
これからも益々のご活躍を期待しております!0r4a0031<おしまい>
 

200_2(一部敬称略 2025年10月16日 Zepp Shinjukuにて撮影)