【弔辞】孝三さん、どうもありがとうございました!
予てよりご闘病中だったドラマーの菅沼孝三さんが11月8日ご逝去された。
一昨日、孝三さんにドラムスをお願いした2001年のイベントのことをココに書いたばかりだったので驚いてしまった。
1998年、シンバルのジルジャンのイベントが開催されて、出演するジェリー・ブラウンを成田に迎えに行ったことがあった。
ジェリー・ブラウンはスティービー・ワンダーのバンドのドラマーで、その前にはReturn to Foreverでプレイした名手だ。
下のRturn to Foreverのライブアルバムでドラムスをプレイしているのがジェリー。
空港で初めて顔を合わせて、彼が最初に放った言葉は「テキャーゾーを知っているか?」だった。
「テキャーゾー、テキャーゾー」…ナンのことだろうか?と、しばらく考えた。
そしてハッと彼が「手数王」と言っていることに気がついた。
その時はまだ私は孝三さんとは面識がなかった。2000年4月。
MarshallがAVTという新しいシリーズを発表し、それを記念してコンサート・イベントを開催した。
今も「Marshall GALA」なんてやっているけど、私はこういうショウの企画を考えるの大好きで、夢中になって台本を書いた。
ショウは2部制で、第2部に当時Marshallのデモンストレーターを務め、現在はProcol Harumで活動しているジェフ・ホワイトホーンや日本のギタリストを迎えたセッションを企画した。
ベースとドラムスのリズム隊はそのままにギタリストだけが入れ替わるという内容。
ベースを櫻井哲夫さん、そして、ドラムスを菅沼孝三さんにお願いした。
コレが孝三さんとの初仕事だった。
孝三さんは「十人組手」なんておっしゃっていたが、今考えてみるとミュージシャンの方々には大変申し訳ないことをしたと思っている。
何しろ、会場は本番前も新製品の発表会で使用することができず、サウンドチェックもリハーサルもなして、本当のブッツケ本番で演奏して頂いたのだ。
しかし、全員が名手だからして、問題なく大盛況のウチにイベントを終了することができた。
イベントの翌日、イギリスに帰るジェフを新宿のホテルに迎えに行くと、腕を交差さてシンバルを叩くジェスチャーをしながら彼は開口一番こう言った。
「昨日のテキャーゾーは本当にスゴかった!」
孝三さんが小柄なので「できればこのままスーツケースに入れてイギリスに連れて行きたい!」と興奮交じりに感想を語っていた。その翌年の2001年、シンバルのジルジャンのイベントが開催されることになり、前年の「マーシャル祭り」の評判がヨカッタため、このイベントの台本の制作を依頼された。
会場は今は無き六本木のスイート・ベイジル。
シンバル・メーカーのイベントなので、当然ドラマーが主役だ。
出演するドラマーは、大坂昌彦さん、そうる透さん、そして孝三さんだった。
内容の指定は特になかった。
そこで、孝三さんがビッグバンドをされていたということを思い出し、当時、山野楽器のビッグバンド・コンテストで最強の成績を残していた明治大学のビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラを組み合わせることを思いついた。
ナゼ、明治大学のビッグ・バンドかと言うと、上に挙げた理由の他に私の古巣だったから。
孝三さんに相談すると、予てよりビッグ・バンドでのプレイをお望みだったようで即決して頂いた。
しかも、演奏曲目も私が決めて良いとおっしゃる。お言葉に甘えさせて頂いて…Count Bsieの「Magic Flea」を1曲目に持って来ることが真っ先に頭に浮かんだ。
あのハロルド・ジョーンズがやって見せた凄まじいドラミングを孝三さんのプレイで聴いてみたかったのだ。
もうね、本番でこの1曲目が終わった時のあの大きな歓声は一生忘れないよ。
「ヤッタ!」と思ったね。
2曲目はルイ・ベルソンのミディアム・テンポのマイナー・ブルースにした。
そして、3曲目は学生さんからのリクエストでサミー・ネスティコの「Ya Gotta Try...Harder!」に決まった。
学生さんたちは孝三さんのドラムスで演奏できる、とすごく喜んでいた。さすがにコレはブッツケ本番というワケにはいかないので、我が母校へ孝三さんをお連れして1度だけリハーサルをした。
帰りに軽音楽部の学生行きつけの「アミ」というレストランで孝三さんと一緒に食事をした。
もうアミも大分前に無くなっちゃったけどね。
ココの名物と「ヤキニクライス」を紹介すると、孝三さんは迷わず「それの大盛りでお願いします」とおっしゃった。
このヤキニクライスはホントに美味しくてね。
孝三さんも「美味しい!美味しい!」と繰り返しながらペロリと平らげていらっしゃった。
私は鼻タカダカだった。
そういえば、ナゼかわからないんだけど、手数セッションのショウボートの時に、近くの「薔薇亭」という洋食屋に2人で食事に出かけたことがあった。
孝三さんは席に座ると同時に「ステーキください!」とおっしゃってビックリ。
「ライブ前ですからね、スタミナをつけないと!」と付け加えていらっしゃった。
そのジルジャンのイベントでこういうアイデアを出した。
それは下のディジー・ガレスピーのレーザーディスク(当時)に収録されているマックス・ローチのプレイにヒントを得たものだった。
ローチはその中で「ミスター・ハイハット」と呼ばれたパパ・ジョーンズというドラマーに捧げてハイハットだけで1曲演奏しているのね。
要するにハイハットのソロ。
何かパターンを考えて大坂さんと透さんと孝三さんでコレを演ったらいかがでしょうか?と提案した。
シンバルのメーカーだから「ハイハットのソロ」なんてバッチリなワケよ。
するとそう間を空けず孝三さんが「ミスター・ハイハット2001」と題してハイハット・ソロの曲を作ってくださった。
もちろん本番では大ウケだった。
我ながらすごくいい台本だったと思うが、残念ながら業者のミスでビデオに音声が収録されておらず、キチンとした映像で記録を残すことができなった。
孝三さんはそれをとても残念がり、タマタマ客席で録音していたお弟子さんから音源を借りてビデオを制作された。
孝三さんも会心の出来だったのであろうと想像する。その同じ年の秋、楽器フェアが開催され、「マーシャル祭り2」というイベントを開催した。
ニューヨークのテロのひと月後ということで、ジム・マーシャルは安全を期して来日しなかったが、会場となったサンシャイン劇場開闢以来の大動員という大盛況だった。
コレを考えていた時は楽しかったな。
この時もリズム隊は櫻井さんと孝三さん。
孝三さんは忙しさのあまり、演奏曲をさらう時間がなくて、朝少々早めにいらして楽屋でコピーしてスコアを書いていらっしゃった。
もちろん本番は完璧!こんなことをさせて頂いていたので、孝三さんとも近しくして頂き、年賀状のやり取りをするようになった。
私はドラマーではないのにクリニックにもお邪魔した。
「ロックバカ・フィル」とか「ジャズバカ・フィル」とか、「肉布団」とかオモシロかったナァ。
要するに孝三さんのファンだったんです。
ドラム道場の発表会も観に行ったナァ。
Fragileを観に六本木のピットインにも押しかけたし、樋口さんが亡くなった時のピンチヒッターで参加したLOUDNESSにもお邪魔した。
下は中野サンプラザで開催された樋口さんの追悼コンサートのようす。ソロ・アルバムのレコーディングにお邪魔したこともあった。
床に倒れているのは矢堀さん。
この日は高崎さんの曲のレコーディングで、お使いになる新しいMarshallを配達した。
録音は昼ぐらいに始まったんだけど、ひと度スタジオに入ったが最後誰も出てこない。
この時、孝三さんは足を痛めていて、何時間か1回に湿布を取り替えに出て来るぐらい。
高崎さんもMASAKIさんもゼンゼン出てこない。
芸術家の集中力ってのはスゴイもんだと思ったわ。
ようやく撮り終えて記念撮影。
コレもう12時近くだから。そうして出来上がったのが3枚目のソロ・アルバム『Convergence』だった。
そういえばイタリアのArti e Mestieriというバンドのフリオ・キリコというドラマーと孝三さんを対決させるのが私の勝手な夢だったんだよね。
フランクフルトでフリオには会ったことがあるんだけど、この話はしなかった。
好きでね~。
何回Marshall Blogの取材でお邪魔したかわからない。八王子の「X.Y.Z.→A」…
高田馬場の「音楽室DX」…
高円寺の「ショウボート」。
ほーじんさんやヒロアキくんと三すくみ状態で遠慮なく叩きまくる孝三さんがカッコよかった。
コレはファンキーさんのキットを叩く孝三さん。
渋谷O-EASTで開催された爆風スランプのトリビュート・イベントに手数セッションが出演した時のようす。
この日、成人式の日だったんだけど、東京はマレに見る大雪だったんだよね。
それで交通網がズタズタになって出演者が時間通りに会場に来ることができず綱渡りのようなイベントになった。
でもすごく楽しいイベントだった。そうだ、こんなこともあった。
コレも手数セッションでの出演。孝三さんとファンキーさんのツイン・ドラムス!
孝三さんはドラミングのスゴさもさることながら、エンターテイナー精神が生半可じゃなかった。
このカエル、何て名前だったっけかな~。
ケロミン?
後期手数セッションで登場した。ヒロアキくんが見て大笑いしてる。
ディジュリドゥの演奏も見事だった。
サーキュレーションをいとも簡単にマスターしたように見えたが、きっとモノスゴク練習されたんだろうね。
こんなキテレツな笛を吹いて見せてもくれた。
チョット音色を正確に覚えていないが「バオー」みたいな感じだったかな?
そう、こうしてドラム・ソロの合間に取り入れる小物がまた楽しかったよね。
こんなの孝三さんの鉄壁のテクニックがなければ到底できないシロモノだろう。パチカは孝三さんのプレイを見て何度か買おうかと思ったけどヤメた。
できるワケないもんね。
こんなのもあった。
そして、トリック・スティッキング。
やっぱりジャズをマスターされていらっしゃったのも孝三さんの強みだった。
とにかく手数セッションは私にとって極上のバンドだった!
その手数セッションのCDジャケットに自分が撮った写真をご採用頂いたのは私の誇りなのだ。
しかし…もう手数セッションを観ることができないのかと思うと…寂しいナァ。
そして、孝三さんのドラミング。
ああ、あのドラム・ソロが観たい!