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2025年10月27日 (月)

田川ヒロアキ in EXPO2025<前編>~私の万博1970

 
しょうわ45年9月10日、ぼくは朝早くおきて万博に行きました。

下はその時にお父さんがとってくれたしゃしんのアルバムです。Album 新かん線にはじめてのりました。
とてもうれしかったです。
これが新かん線のきっぷです。
20_3ぼくは前から万博に行きたくて、行きたくて、ずっとお父さんとお母さんにおねがいをしていたのです。
でも、万博はすごくこんでいるので、休みの日や夏休みにはとても行かれないというのです。
すると2学きに入ってすぐにお母さんが、たんにんの佐久間先生にそうだんをしてくれました。
先生は「一生に一どあるかないかのできごとなので、どうぞ学校を休んでつれて行ってあげてください」とおっしゃったそうです。
なんていい先生なんでしょう!
そうして万博がもうすぐおわるという時に1日だけ万博へ行ったのです。
ぼくはお父さんが買ってくれたガイドブックを見て会場にあるパビリオンをすべてあん記していました。
形を見ただけでどこの国のパビリオンかを当てることができるのです。
それぐらいあこがれていた万博だったのです。
55_2はじめての新かん線、うれしいな!30_2まどのけしきとお母さんのあいだにはさまれてごきげんなぼく。
これから新大さかまで4時間の長たびです。
食どう車に行ってみたいな。
40_3新大さかえきから地下てつで万博の会場に行きました。
地下てつの中から「太陽の塔」が見えた時、ぼくはとてもうれしくてお父さんにホッペタをつねるようにおねがいしました。
ぼくがすごくよろこんでいるようすを見てお父さんはとてもうれしそうでした。
そして会場につきました。
「バンザ~イ!ゆめにまで見た万博へ来たよ!」
このバンザイのポーズはお父さんが「やれ」って言ったんです。
はずかしくてぼくはとてもイヤだったんだけど、お父さんをガッカリさせたくなかったのでがまんして両手を上げました。
おやこうこうのひとつです。50本当にどこへ行ってもすごい人でした。
ぎょうれつの大きらいなお父さんは人気のあるパビリオンには近よろうともしません。
でも、きねんにこれだけは見ておこうと太陽の塔に入るための長い長いぎょうれつにならびました。
中に入るまですごく時間がかかって足が少しいたくなりましたが、がまんしてよかったです。
「生めいのしんか」って言うのかな?
エスカレーターで下からドンドン上がって行って、塔のうでの中にも入った時はとてもおもしろかったです。60v_2お気に入りのブルーの水とうをかかえて古河グループの七重の塔のパビリオンの前に立つぼく。
もちろん中を見たわけではありません。
古河は日本の15ざいばつのうちのひとつです。
こうざんかいはつでざいをなし、一大コンツェルンを作り上げました。
古河でんこう、ふじでんき、ふじつう、よこはまゴム、あさひでんか、日本けいきんぞく、みずほぎん行、大せい火さい、たくさんの大きな会社が古河のさんかに入っています。70v_2ひと休み、ひと休み。
パビリオンをたいして見てもいないくせにクタクタです。
それでもうれしかったし、楽しかった!80_2ふじつうのパビリオンをバックにぼくがお父さんとお母さんのしゃしんをとりました。
お父さんは大工さんです。2s けっきょく、太陽の塔をのぞけば、タンザニアとか、ガーナとか、ニュージーランドとか、行列ができていないパビリオンだけを見学しました。
ガーナ館で飲んだカカオののみものや、ニュージーランド館のヒツジの肉はとてもおいしかったです。
今考えてみると、万博で何かを食べたきおくはこれだけです。
レストランがどこもまんいんで入れなかったのでしょう。
でも、ひもじかったきおくもありません。
きっとこうふんしていたからですね。
人気のあるアメリカ館やソ連館も少しは見たいと思いましたが、ぼくも長いぎょうれつにならぶのはウンザリでした。
90v_2アッという間に夕方になってしまいました。
とてもあつかったのかな?池に入ってすずんでしまいました。
ヘンなところを押さえていますが、おもらしをしてしまったわけではありません。
そして、新かん線にまた4時間乗って東京へ帰ったのです。
まだからだの小さなぼくは、ざせきのゆかにしいた新聞紙の上でよこになってグッスリ眠ってしまいました。
だから帰りはアッという間でした。
本当に行ってよかったと思います。
お父さん、お母さん、佐久間先生、どうもありがとうございました!
100_2ちょうど同じころ、イタリア館でしゃしんをとっていた同じ年の女の子がいました。
へいたいさんのよこで妹の手をにぎっているかみの毛が短い女の子です。
この時から16年後、ぼくたちはけっこんしました。
110vあ~、クタびれた。
一応、「小学校2年生の子が書いた作文」という設定にしてみた。
コレが存外に厄介で、リアリティを表出するために下の一覧表と首っ引きで実際に小学2年生までに習う漢字を調べながら書いてみたというワケ。
今、漢字が自由に使えるって何てステキなことなんだろう!
2kanjiもちろん作文中の「ぼく」とは私のこと。
1970年(昭和45年)、小学校2年生の時、閉幕のたった3日前に「日本万国博覧会」を訪れたことは私の人生の中でもとてもラッキーな出来事だった。
マーブロで万博を取り上げたことはこれまでなかったので少し調べてみた。
 
数週間前に閉幕した今回の大阪・関西万博の入場者数は2,558万人だったそうだ。
一方、1970年の時は6,422万人。
コレがどれぐらいの数字かと言うと、ディズニーランドとディズニーシーの来場者2年分に相当するそうだ。
驚くのは来場者の1割が農協の団体旅行客だったという。
会場の面積も今回の155haに対して330haと倍以上の規模だった。
そして、1970年の「日本万国博覧会」は万博史上初めて黒字になった会で、その来場者数は2010年の「上海万博」までトップをキープし続けたという。
キャッチ・コピーは「人類の進歩と調和」…恐らく当時は意味もわからず幼稚園生までこの文句を知っていたのではなかろうか?
しかしこの時から55年、結果として科学は進歩したかも知れないが、人類は進歩も調和もしていないように思う。
下はウチで保管している小人の入場券。
大人800円、小人400円。
私の記憶では小学校2年生の時、近所の「つばめ軒」のラーメンの値段が確か80円だった(チャーハンは100円)。
今のラーメンってだいたい800円ぐらい?…となると55年の間に物価が10倍になったと考えて大丈夫かな?
イヤ、「ラーメン」という食べ物の価値が呆れるほど変化してしまった現在、単純にラーメンの値段の変化で貨幣価値を換算することは危険だろう。
そこで他の信頼のおけるデータを参照すると1970年の100円は今の550円に相当するそうだ。
ということは大人の入場料800円は4,400円ということになる。
決して高くない。
Ticket6 コレはMarshall Blogですでに何度か紹介している1970年の山田洋次の松竹映画『家族』。
長崎の伊王島の炭鉱夫の一家が酪農に転業するためにはるばる北海道を目指すロードムービー。
松竹は歌舞伎や演劇の部門は安定していたものの、映画部門がかなり左前になっていた。
それを『男はつらいよ』で救ったのが山田洋次だった。
そこで松竹が論功行賞で山田監督のリクエストを聞き入れて制作した1本。
さすがの山田作品だけあって1970年のキネマ旬報では見事第1位を獲得。
ところが興行的には全く成功しなかったという。
イエイエ、本当に素晴らしい映画です。
私は小学生の時に初めて観て感動し、今でもDVDで時々観ている。
作品はオールロケで、山田さんは万博でもカメラを回し、会場のケイオスぶりがお得意のドキュメンタリー・タッチで実にうまく描かれている。
「チョット万博でも見ていくか?」と軽い気持ちで見に寄った万博が後に取り返しのつかない悲劇を呼んでしまう。
昔の万博の雰囲気が知りたい人は観てみるとよいだろう。9_kzkさて、ところ替わってココは谷中。
その名も「EXPO」という骨董品店がある。
それこそ「ケイオス」としか形容のしようがない品揃えがとてもオモシロく、店名が示す通り1970年の万博のグッズを色々と取り扱っている。
オーナーはココから歩いて5分もかからない「東京藝術大学」の絵画科で日本画を専攻されていた方で、話をうかがうとやはり小学校3年生の時に体験した万博の感動を忘れることができず「EXPO」という店名にしたのだそうだ。
Expo_shop今回の記事を書くに当たって冒頭で若き日の私が触れた万博のガイドブックが置いてあったことを思い出しEXPOに買いに行った。
少々値段が張ったがもう表紙を目にした途端どうしても欲しくなり、当時の定価300円の約13倍の値段でゲットした。
実行委員の名簿、万博の歴史、来日したアーティストのリストやレストランのメニューなど、子供の頃には興味を示すことがなかったページが実に興味深い。
内容の充実ぶりは驚異に値する…コレで300円、今なら1,650円。
メチャクチャお得だと思う。
発行元は「電通」。
9_bk2奥付を見ると発売されたのが昭和45年3月10日。
つまり開催の5日前。
もちろんかなり前、すなわち施設が完成する前に編んでいるためか、パヴィリオンの写真は一切載っておらず、すべてイラストで表示されているのがチト残念といえば残念。
しかし、私は穴のあくほど掲載されたイラストの数々を見ていたので、現場でホンモノを目にした時の感動たるや生半可なものではなかった。118a0029一方、挿絵には東山魁夷や平山郁夫(下の水墨画)の作品が使われていてビックリ!
写真も銀座「ルパン」の太宰治の写真を撮ったことで知られる昭和の大写真家、林忠彦の作品が使われたりしている。118a0026ガイドブックには会期中の様々なイベントの予定が掲載されている。
1970年はベートーヴェンの生誕200年に当たる年ということもあってか、特にクラッシック系のラインアップがアホほどスゴイ。
カラヤン率いるベルリン・フィル、ムラヴィンスキーのレニングラード・フィル、バーンスタインと小澤征爾のニューヨーク・フィル、さらにボリショイ・オペラ、ピアニストのリヒテルなどがリスト・アップされている。
ポップスではサミー・デイヴィスJr.やアンディ・ウィリアムス、メリー・ホプキン、フィフス・ディメンション、セルジオ・メンデス、ジルベール・ベコーなど。
1970年というとレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドが来日した年なのだが、まだまだ「ロック」という音楽が一般大衆が楽しむモノではなかったということか?
カナダからゲス・フーが来る予定だったらしいが、ライトハウスというブラス・ロックのバンドが代りにやって来たという記述も目にした。
ジャズはどうだったんだろう?
「万博ジャズ祭」というのが開かれたらしく、目玉はヨーロッパのミュージシャンたちだったという。
コレがまた実にエグイ顔ぶれ!
ジョン・サーマン、アルバート・マンゲルスドルフ、ジャン・リュック・ポンティ、エディ・ルイス、ニールス・ぺデルセン、ダニエル・ユメールにカーリン・クローグ…。
コレは観たかった!9_118a0019下のページにはレストランや売店のメニューと値段が掲載されている。
それらをさっきの5.5倍を使って現在の値段に換算すると…
 ハンバーガー  1,375円(日本ハム)
 万博ずし           1,000円(京樽)
 サンドイッチ  1,500円(日東紅茶)
 うどんすき         4,400円(美々卯)
 ホットドッグ         825円(各所)
と、そう高い印象はないが、各国のパビリオンに併設されているレストランなどはこの限りではなかったようだ。
上で「万博の会場でちゃんとした食事を摂った記憶がない」旨のことを書いた。
母に確認してみると、どうも本当にナニも食べなかったようだった。
それは経済的な理由ではなく、どのレストランもモノスゴイ人ごみで、列に並んでいるウチに1日が終わってしまうような状況だったらしい。
日帰り旅行だったので「団子」より「花」を取ったというワケだ。
9_118a0016普段、買った古本に書き込みでもしてあろうものなら頭から湯気を出して怒り狂ってしまう私だが、コレはオモシロかった。
この本の前の持ち主が、訪ねたパヴィリオンでスタンプを押し、日付を記録しているのだ。
どうもこの方は7月4日と13日に訪れているようで、その内容がソ連、ドイツ、カナダ、オーストラリア、日本他に加えマイナーな国々のパヴィリオンと日本企業のそれを数多く見て回ったようだ。
あの混雑の中、たった2日間でこんなに見て回れるものであろうか?
この人も食事はパスしてるな…。
コレだけ見ることができたらさぞかし楽しかったことであろう。
ちなみに最も入館者数の多かったパヴィリオンのベスト3は…
 ①ソ連館
 ②アメリカ館
 ③日本館
だったそうだ。
30もうひとつ。コレも谷中。
第11第将軍徳川家斉の時代、「日潤」という超ハンサムな住職が女犯(にょぼん)事件を犯したことで知られる「延命院」。
その日潤のアヴァンチュールの相手の中に大奥の女性が含まれていたことより江戸中が大騒ぎになり、最終的に日潤は斬首された。
植松三十里が『大奥延命院醜聞 美僧の寺』なんて小説に書いている。
下がその事件の舞台となった「寶珠山 延命院」。
とっても良いお寺です。
Img_4237その延命院では定期的に結構規模の大きい骨董市が開かれている。Img_4238そこで見つけたのがコレ。
当時150円だった「サンデー毎日」の別冊の万博特集。
1,000円も出した。40_2コレがまたバカバカしくもオモシロイ。
この万博見物の「七ツ道具」なんてのはスゴイよ。
帽子、サングラス、小銭、簡易イス、ズック靴、ビニール風呂敷(雨合羽代り)、そして方位磁石。
会場が広いので磁石を持って行けば安心なのだそうだ…ジャングルじゃないっつーの!
実際にコレを見て7ツ道具を用意した人がいたのであろうか?
ノンビリした時代だったね。
50_2万博のテーマ曲がまたヨカッタ。
「♪こんにちは~ こんにちは~ 世界の国から~」
コレ、サビの歌詞に「♪1970年のこんにちは」と年号を入れたところが何ともカッコいいよね。
作詞は島田陽子(女優ではない人)。
そして、幼稚園生から横丁のご隠居さんまでが口ずさんだ偉大なメロディを作ったのは中村八大だった。
三波春夫の歌もヨカッタ。
56cdこの曲、今回調べてビックリしたんだけど、吉永小百合、九ちゃん、倍賞美津子他、こんなにたくさんの人たちが歌っていたとは知らなんだ。
Q太郎まで万博に行ったんだね。
とにかくこの頃からバブルの前ぐらいまでが日本の一番良い時代だったのではなかろうか?
つくづくそう思うし、その時代に生きて来られて本当にヨカッタ。55さて、小学校2年生の時から55年後。
6:30の新幹線に乗って私はまた日帰りで万博へ行くことになった。
さすがに今回は新幹線と一緒に写真は撮りません。
Img_4687佐久間先生は「一生に一度」とおっしゃっていたが、ナンノナンノ!…全く期せずして2回目の万博がやって来たのだ!
万博の大ステージに出演する田川ヒロアキのチームが写真撮影とMarshall Blogの取材で私を招いてくれたというワケ。
コレで「万博の田川ヒロアキ」の全貌が「ひとつのメディア」であるMarshall Blogに残る…という寸法だ。
今次の万博滞在記は<後編>の後半でやることにする。10テレビでさんざん報道していた通り、とにかくまずは行くのが大変なのよ。
新幹線の切符はいくらでも取れるんだけど、何しろ最寄りの駅からの交通手段がないときてる。
最後は駅から歩いて行く覚悟までしたが、徒歩で行くことは禁止しているっていうんだよ。
20それでも首尾よく「西ゲート」の関係者出入り口に到着して中へ入ると…恥ずかしながら結構ウキウキするじゃんね。Img_4688ヒロアキくんが出演するのは西口ゲートのすぐ近くにある万博会場内最大のイベント・ステージ「EXPOアリーナ Matsuri」。
『スポーツ・オブ・ハート in 2025大阪・関西万博』というイベントだ。
これまで様々なシチュエーションでヒロアキくんが出演する『スポーツ・オブ・ハート(以下「SOH」)』をMarshall Blogでレポートしてきたが、一番最初の「代々木体育館」から数えてナント11年が経過した!
早いナァ~。25vSOHはスポーツや音楽、ダンスやアート、そしてファッションやお笑いなど様々な文化が、国籍や人種の違い、障害の有無を超えて調和する一大祭典だ。
今回のSOHは大阪・関西万博に舞台を定め、ヒロアキくんはオープニングと自身のライブ・ステージ、そしてフィナーレで大活躍した。
008a0007コレが「Matsuri」のステージ。
デカイ!
ただ今リハーサル中。
30ステージの前には芝生の客席がガバっと広がっていて、その背後には食べ物を販売する屋台村とテントの下で食事をするスペースが設営されている。
40まずはステージ裏の楽屋村へ。
楽屋でご挨拶を済ませて軽く近所を見て回ろうと思ったが、この日はまるで真夏のような暑さでとてもそんな気にはならなかった。
ヘタに外に出て仕事の前にバテちゃったらマズイからね。
ま、ヒロアキくんとの仕事で「暑熱」といえば2015年8月の「世界ボーイスカウトジャンボリー」が無敵のチャンピオンだけけどね。
でも、今回も仕事が終わって会場をひと回りして楽屋村に帰って来たらシッカリと腕時計の後がついていたわ。
それぐらい日差しが強かった。
0r4a0002ヒロアキくんの最初のステージは『スポーツ・オブ・ハート in 2025大阪・関西万博』の開会式。
ステージのソデで出番を待つMarshall。
ヒロアキくん愛用の「JVM210H」と「1960A」だ。
008a0002定刻となりSOHのイベントのオープニングには欠かせない国家の演奏が始まった。
ステージ後方のスクリーンに映された合唱隊の映像と音声をバックにステージに姿を現した3人。
20_2スクリーンの映像が替わりもう1人加わる。008a0090_2まず最初に出て来た音は三味線。 
弾き手は匹田大智。30vシャープなバチさばきで津軽スタイルのプレイを華麗にキメて見せた。40_2続いて穴澤雄介のヴァイオリンのフラジオレットの音色が続く。50v穴澤さんもピチカートを交えながらダブルストップを多用したメロディアスなプレイで「君が代」のメロディを奏でる。55そして田川ヒロアキの番になるとおなじみの「Seascape」のバッキング・トラックが流れ出る。60もちろん演奏するのはヒロアキくんがアレンジした「君が代」とオリジナル曲「Seascape」のミックス・バージョン。70vウ~ム、やっぱりヒロアキくんが弾くMarshallの音はとびっきり美しい。118a0330メロディアスにそしてドラマティックに「君が代」のメロディを歌い上げた。118a0407すると匹田さんの三味線が加わって来て…Vv ヒロアキくんとのデュエットでヘヴィなパートに発展する。
このあたりは万博のステージのためのスペシャル・バージョン。80強力なディストーション・サウンドのパワー・コードでさらに「君が代」のメロディの断片を弾くと…118a0217ディストーションとは縁もゆかりもない歌声が流れ出る。 
佐藤ひらりが歌う正調「君が代」。
このコントラストがスゴイ!90v全ての観客の耳を惹きつけて放さない美しい歌声。110そしてバッキングトラックに合わせて4人アンサンブルが万博会場に鳴り響いた。120こうして『スポーツ・オブ・ハート in 2025大阪・関西万博』がスタートした。
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano
130vところでヒロアキくんが身にまとっている衣装…。
下関出身で海に囲まれて育ったヒロアキくんだからして、「海=平和」のイメージのもと「Ocean」をコンセプトに定めた。10v手で触ってさまざまな波の表情がイメージできるようにとファッション・ブランド「tenbo」代表の「鶴田能史(たかふみ)」さんがプロデュース。
演奏中の動きや風向きにより裾に隠れた生地が波のように舞い上がるような様々な工夫が凝らされているそうだ。
30v_2コレは後ろ見頃の裏地。
553053706_2019319162193573_61336729見えないところにオシャレをするのが「鯔背(イナセ)」だって言うじゃないか。
コレがまさにそれよ。
イラストとともに…
40v私が撮った写真をカッコよく2か所に刷り込んでくれた。
私が着たいわ!…とても入らないか?75衣装についての解説はコチラ⇒tenboオフィシャル・ウェブサイト73さて、ステージはスッカリ場面が替わり、SOHの関係者のお歴々がズラリと並ぶ。140司会はルーシー・ケントさんとお笑い芸人の「ぶらっくさむらい」さん。150ミャクミャクも登場してご挨拶。160vSOHではおなじみの高橋尚子さん…170はるな愛さんも列席している。180vそれと、今年4月に銀座で開催した『ダイバーシティ駅伝 in Tokyo』でも気炎を吐いていた団平オッちゃっんが今回も南千住から駆けつけてくれた。190コレは開会式典の中のワン・シーン。
イギリスに本部を置く「LOANI(Leaders of All Nations International)」という国際福祉団体の創設者であるキャロライン・マカカ教授が「Champion of Diversity」という賞をSOHに授与した。
SOHを代表してハート型のトロフィを受け取るSOH理事の廣道純さん。200_3「『ゴチャ混ぜ』をモットーに、障害の有無、国籍、年齢、性別の分け隔てなく、誰もがスポーツ、ファッション、音楽、アートを通して輝けるイベントを2012年から続けて来たことが認められて大変うれしい」旨のご挨拶をされた。210vそして賑やかに開会式が締めくくられ、大阪・関西万博でのSOHがスタートした。220<後編>につづく
 

200_2(一部敬称略 2025年9月27日 大阪・関西万博会場にて撮影)