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2013年4月20日

2013年4月20日 (土)

ありがとうジム・マーシャル!<後編>~I Remember Jim! 3

Shige Blog 2012年4月20日初出…ウワ!ちょうど1年前の今日だ!

2002年5月、ついに私はマーシャルのあるミルトン・キーンズの地に立った!ザック・ワイルドのシグネイチャー・モデル2203ZWが発表される直前のことだ。その時はまだスティーヴがマーシャルにいて、The Gerorge InnというB&Bに宿を取った私と食事をするために、夜、出てきてくれた。ラリー・コリエルとフィリップ・キャサリンの名ライブ『Twin House』のジャケットのようなこの建物がThe George Innだ。

それまで何度も日本で彼を迎えた私に向かって発した言葉は…

「シゲ!とうとう来たじゃないか!とうとうマーシャルに来た!」

だった。私をハグハグしながらしきりに背中を叩くスティーヴにわからないように泣いたよ、あまりにも感激して…。

Sgi2

この旅は私にとってはじめてのヨーロッパ探訪で、見るモノ、聞くモノ、喰うモノ、嗅ぐモノ、感じるコトすべてが新鮮で、それまでアメリカ一辺倒だった私にいい意味で大きなショックを与えてくれた。下の写真はこのB&Bの前の通りの様子。この道は古代にローマ軍が行進した道だという。つき当りに古い教会が見える。

Street2
その教会がコレ。失礼な行為かもしれないが、ちょっと中に入って、お墓の墓碑銘を見ると、16~17世紀のものばかり。そこここに歴史を感じざるを得ない。そして、頭に浮かぶメロディを抑えることはできない…もちろんキング・クリムゾンだ。

Church2
これは部屋のようす。5月だというのに昼間からガンガンと暖房がついていた。「キタへキタ~!」と実感する。ここの主人や奥さんがまた最高にいい方々で、アレコレと面倒をみてくれ、一気にイギリスびいきになってしまった。

Room2
ついでにこれは滞在2日目以降に泊まったホテルとその庭。湖は人口のものだが、その美しさに息を飲んだ。ここのロースト・チキンと揚げたてのフライドポテト(Chips)がおいしくて、その後もここに泊まるたびにオーダーしたっけ…。なんだか『イギリス紀行』みたいになってきちゃった。

Coldecotte2

そしていよいよマーシャルの本拠地に!
Factory02

中に入る前に何枚写真を撮ったことか!
Factory3

左から右から…なめるように全景を拝んでおいて…

Factory2

…イン!

感激したな~。マーシャルだもんね。正真正銘、初めて自分で撮ったマーシャル本拠地の写真。

Reception2

正面玄関の2階にあったミュージアム。今は大分様子が変わった。

Receptopn

この時、イギリス国内の楽器店の販売担当者を集めての商品研修会があり、ついでに出席させてもらった。

Training1

若い男の子ばかりだった。研修会の終了後、私が泊まっているThe George Innで出席者を集めた会食があった。そこで偶然隣り合わせになった男の子と話しをした。どこから来た子だったか覚えていないが、自分の子供の年齢と大して変わらないようなとても若い子だった。当然会話は音楽の話しとなる。それぐらいしか共通の話題がないからね。そこで驚いたのが、この子の出すその話題。

ディープ・パープルなのだ。他にも「整流管ってな~に?」なんて話しも出たが、それよりパープルだ。「知ってる?」なんて訊いてくる。「オジちゃんは『Made in Japan』のコンサートを観に行ったんだよ!」とウソもつけないので、「オジちゃんはレインボーの『On Stage』の時、ブドーカン(「ブ」に思い切りアクセント)の席に座っていたんだよ!」と告げると、すかさず手を出して「握手してください!」とおおよろこび。こっちは鼻タカダカ!実にイイ気分の会食だった。

それまでアメリカ人とはずいぶん音楽の話しをしたことがあったが、相手が老若男女を問わず、ディープ・パープルの話しなんかしたことなかった!イギリスの素晴らしいロック事情を垣間見た気がした。

そして!次の日の晩はいよいよジム・マーシャルとサシで食事なのであった!

Training2

翌日、各部門の担当者にあいさつをし、打ち合わせを済ませてから、当時の重役らとブレッチリーという近くの街の「Voong's」という中華料理店へ連れて行ってもらった。いきなりモソモソと食べだすのもナンなので、「自己紹介をさせてください」と断ったうえで一席ぶった。

ひと通りありきたりの挨拶をして、いよいよパンチ・ライン(オチ)へ突入した。「私は1962年生まれ。マーシャル社と同じ年なんですよ。だから私のこと”Bluesbreaker”と呼んでください」とやった。

ここでドーンと来ると思ったワケです。「ヒュー、ヒュー」とか…。そしたら完全にドン引き!ドン引きに加え明らかに「?」が出まくっていた。もしかしたらこの人たち「1962 Bluesbreaker」知らないんじゃないの?とさえ思いましたよ!

その後、10数年の間に何度この「Voong's」に連れて来てもらったかわからない。ベトナム人が経営している中華料理店で、我々が横浜や神戸の中華街で食す中華料理とはかなり隔たりがあり、やや無難な言い方をすれば過剰なまでに味つけにオリジナリティを加えているのだ。

ジムはここのスペアリブが大好きだった。晩年、手が不自由になった時、となりに座っていた私に「シゲ、世界一うまいあのスペアリブをいくつか私の皿に乗せてくれるかい?」と頼んでくれたりした。そのスペアリブをおいしそうに頬張っているジムの姿も忘れることができない。

さて、話しは戻り、ジム・マーシャルと初の会食!ジムと当時のパートナーとヴィクトリア、そして私の4人!緊張したな~。ジムは行きつけのイタリア料理店「The Bell」というお店に連れて行ってくれた。築100年は優に超す古いパブ風のレストランだ。

この時は、洋式の食事の手順を知らなかった(フル・コースとかそういうことではない…)。というのは、バーで食事の準備が完了するまでオリーブの実なんかをかじりながら軽くイッパイやる。これを知らないもんだから、「ずいぶん質素なオードブルだな…」と思いつつ緊張をほぐそうと最初からグビグビとワインをいただいてしまう。

ほどなくすると、イタリア人のご主人が出てきて「r」を思い切り巻きながら、「お食事の準備ができました~」というではないか!「エ~、これから本番なの~?」と驚きつつ席を移す。

ジムと当時のパートナーが目前にお座りになり、ヴィクトリアが横に…いっくら飲んでも緊張するって!だって、ジム・マーシャルとその家族とサシでお食事ですよ!

「好きなドラマーは誰ですか?」

「ジーン・クルーパじゃよ、フォッ、フォッ、フォッ!」

なんてことを話したナ。「ラウドネスを知ってる」とかおっしゃっていた。

こういう時のジムの客をもてなす気遣いはさすがで、こんな若造にでもドンドンとワインを注いでくれる。「注ぎ上手」っていうの?うれしいんだけど、前半で飛ばしすぎてもう飲めないって!しかも、昼間は昼間であんな自己紹介をしたもんだからロクに食べてない!これで酔わない方がおかしい。時差ボケもすさまじい!

何とか最後までがんばったんだけど、自爆。下の写真はその後で「100年物のブランデーを飲もう!」とジムの自宅へ呼んでいただいた時に撮ったもの。

シンドかったけれど、最高に幸せな夜だったナ。まさか、ジム・マーシャルの家にお呼ばれするなんて、ギターを始めた頃、イヤ、お邪魔する直前まで想像したことすらなかった。「ちょっと寄ってや!」みたいに声をかけてくれるところが本当に庶民的で「オヤジ!」という感じだった。

この後も何度かお邪魔させていただいたが、人生の成功者が住むにふさわしい豪邸で、池のある庭がとても美しかった。「こういうのを日本では『Park』って呼ぶんですよ!これがホントの『Park』」なんて笑わせたこともあった。

そういえば、工場に行ったある時、レセプションで待機していたら、ヒョコヒョコとジムが玄関から入ってきて私を見つけると、「お、ナンダ来てたのか?」と気さくに声をかけてくれる。ジムの顔を見るとかさぶたができていて、「チョットそのお顔どうしたんですか?」と訊くと「イヤ~、転んじゃってサ、フォッ、フォッ、フォッ!ところでメシ喰った?喰ってないなら、シゲ、いっしょに喰いに行こうよ!」なんてこともあった。

CCF20120419_0000

2003年の楽器フェア以降、来日することはなかったが、海外の楽器ショウではよくご一緒させていただいた。特にフランクフルトではマーシャルの一員のように私を扱ってくれ、実に楽しい時をすごした。

これはそのフランクフルトでのショット。開催中に世界のディストリビューターを招待して催される「マーシャル・ナイト」と呼ばれる巨大なパーティだ。

RIMG0091
まだ元気なころ、ここで興が乗るとジムはよくスティックを握ったものだった。
まさか、へヴィ・メタルを演るワケでもなく、やわらかに4ビートを刻むのだ。

そして、もっとノッてくるとスティックをマイクに持ち替えて自慢のノドを披露してくれた。よく歌っていたのはガーシュインの「S' wonderful」とディーン・マーチンばりにシブくキメる「Everybody Loves Sombody」。同じくガーシュインの「Somebody Loves Me」も得意だった。

ジムの声はマーシャルの歪みとは正反対で、クリーンそのもので(マーシャルはクリーン・サウンドも素晴らしい!)、本当に澄んだベルベット・ヴォイス。ジャズが大好きな私としては結構その歌を楽しみにしていた。

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それから数年後の同じフランクフルトのパーティでのショット。もう手足の自由はままならなかったが、スティックを握ってグラスを叩き、会場を大いに盛り上げた。こんなときでも大好きなハバナ産の葉巻とマカッランは欠かせなかった。

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とにかくいつでもジムのまわりはたくさんの人が溢れていた。これはフランクフルトのマーシャルのスタンド。

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ジムのサインをもらおうと長蛇の列ができる。この光景は最後の最後まで変わることがなかった。

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これは私がジムにもらったサインの一部。もっともらっておけばヨカッタ!サインをもらった年を見るとナゼか一年おきになっている!

きっと誰でもそうだと思うが、私はサインをするジムの姿が好きだった。いつも愛用のマジック・インクを持っていて、どんな時でも、誰がペンを差し出そうとも、使いなれたマジックしか使わなかった。そして、あの有名なサインを色紙や本にキリリと施していた。

普通の人は生まれてから死ぬまでに自分の名前を30,000回書くといわれているらしいが、ジムが生涯を通じてしたサインたるや一体どれくらいの回数になるんだろう?
普通の人の10倍や20倍ではきくまい。これもジムの偉業のひとつだったんだナァ。
IMG_0005

ジムに最後に会ったのは今からちょうど(当時)1年前のことだった。もう会社には来ていないので、ジムの家にあいさつに行ったのだが、社長のジョンが直前に「シゲ、ジムに会っても驚くなよ」と警告してくれた。

実は何年か前にも同じことをマーシャルの別の役員から言われたことがあった。
元気な時をよく知っていただけに、正直あの時は小さくやせ細ったジムの姿を見て驚いた。
でも、今回はまったく驚くなんてことはなかった。むしろ、ジムの握手が力強いことに驚き、たのもしく思ったくらいだった。

その時にもらったのがこのミルトン・キーンズ銀行発行の50ポンド紙幣。マーシャルの創立50周年を記念して作った絵葉書だ。
向かって右のコンボに足をかけている写真は、ジムが最初に倒れ、復帰してすぐに撮影されたものだ。そう!ジムはいつでも鉄人だった。「Mighty Jim」と呼んでいる人も実際にいた。
ジムが天国に行くなんて誰も想像できなかった!

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それはこの50ポンドの裏面にサインをもらった時のことだった。事実これが本当に最後のジムのサインとなってしまった。あのボクサーのジャブのように素早くマジックを動かして書かれていた「Dr. Jim Marshall OBE」が、まるで初めて字を書く子供のようにゆっくりと描かれたのだ。

「もうジムに会えないかもしれない…」と思った。

「驚くなよ」と言われたジムの姿を見ても全然驚かない私だったが、このサインをするジムの姿を見た途端、大粒の涙を落としてしまった。とにかく涙をこらえようとしてこめかみが猛烈に痛くなった。それを思い出して今も涙が止まらない!
何度ももらったジムのサインだが、今となって私にはこの絵葉書のサインが一番美しく力強く見える。

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どんなに一緒に時間を過ごした人でも、どんなに親しい人でも、時間が経つとその人の声を忘れるものである。もちろんジムの声は耳に焼き付いているがいずれ忘れてしまう時がくるかもしれない。
そんな時にはこのCDを聴くんだ。ジムが愛したジャズのスタンダードの数々。元気のいいピアノ・トリオに乗って弾むように歌うジムの声が美しい。「S'wonderful」も「Everybody Loves Somebody」も入っている。私の宝物だ。

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そして、これはジムがBBCラジオのインタビューをCDにしたもの。これも大切にしている。
Interview2

でも、私が一番大切にしている物はこれだ。

マーシャルのプロモーション活動に精励したことを讃えていただき、2009年、フランクフルトのマーシャル・ナイトで世界中のディストリビューターの前で授与されたトロフィ。

その台座には「Shige Award」と記してあった。これはあまりにも大きな栄誉だった。我が人生の頂点といっても過言ではないかもしれない。

もちろんこの賞は私の他にも心からマーシャルを愛していただいている皆さまのご協力で頂戴できたと感謝している。同時にこのような機会を与えてくれたジム・マーシャルやマーシャルの仲間にもあらためて心からお礼を申し上げたい。

もうひとつジムのことで忘れてならないのは、彼は偉大なギター・アンプ・ブランドの創設者であったということの他に、慈悲深い篤志家であったということだ。
社会団体に莫大な寄付をし続け、その功績がイギリス政府に認められOBE(Order of British Empire)の称号を授与されたのだ。

IMG_1387

ロックを作った男、ジム・マーシャル。

大きな夢を、楽しい時を、素晴らしい思い出をどうもありがとう!

安らかにお眠りください。

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ありがとうジム・マーシャル!<中編>~I Remember Jim! 2

Shige Blog 2012年4月19日初出

最後にジムが日本に来てくれたのは2003年の楽器フェアのことだった。
身体を悪くしてしまったジムはそれ以降来日していない。
Marshallのブースではジムのサインを求めて連日サイン会の長い長い行列ができた。
何しろJCMシリーズの他、人気ギタリストのシグネイチャー・シリーズなどイギリス製の主要モデルにだけ入れられる「Jim Marshall」の本物のサインが直にゲットできるワケだからね。
だから2003年以降、ジムからサインをもらった日本人は極端に少ないと思う。
あの時にサインをもらった方は大切にされるといいかも知れない。
ジムは元々シンガーで、ドラマーで、タップ・ダンサーだった…レス・ポールようにステージの上にズッと居続けてもいい人だったが、ギター・アンプの事業が大成功したために、結果的に人生の大半をいわば「裏方」に徹したことになった。
このあたりは日本で最初のマーシャルの本である『Marshall Chronicle』に掲載されている私が書いた文章をご参照いただきたい。
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ジムはこのサイン会に並々ならぬ情熱を注ぎ、最後の最後までひとりでも多くのファンにサインを授けようとした。
ジムは自分のサインをもらってよろこぶお客さんの顔を見るのが大好きだったのだ。
この楽器フェアの時私のお役目として、ジムと当時のパートナー、そしてマーシャル社の担当のスティーブと4人で毎晩ジムと会食をすることになった。
マァ、久しぶりにジムにお会いすることもあって、はじめのうちはジャズの話しかなんかで盛り上がっちゃって、比較的話題に事欠かなかったのだが、さすがに毎晩となると状況が厳しくなってくる。
何しろ相手は大正12年生まれで、私の父よりもはるかに年上だ。
それより、方やMarshallアンプの創始者、こっちは東洋の島国のディストリビューターの一担当…軍隊で言えば元帥と軍曹みたいなモノだった。
当時、楽器フェアの期間中は毎晩どこもレストランが殺人的に混んでいて、夕食の予約もできない状態が続いていた。
コレには毎晩苦労させられた。
そしてある晩、レストラン街に繰り出して、イチかバチか入ってみた大衆的なイタリア料理店に空席を発見!
すぐに席を4つ確保したことは言うまでもない。
ジムはステーキが大の好物で、その晩も「なんとかステーキ」を注文した。
そして、私は既に話題がなくなっていて少しハラハラしていた。
かといって沈黙はマズイ。
そこで苦しまぎれにジムに向かってクイズを出すことにした。
「ジム、クイズを出してもいいですか?」と訊くと、ジムは「フォッ、フォッ、フォッ、何だね?やってごらん」なんて興味を示してくれる。
クイズはよくあるスタンダードなお国柄問題だ。
「それではひとつ…アメリカの家に住んで、日本人のコックがいて、イギリス人の執事を雇う男が世界で一番幸せな男。
では世界で一番不幸な男はどんな男でしょ~かッ?」
これが問題。よくあるでしょ?こういうヤツ。
するとジムは「フォッ、フォッ、フォッ、面白いことを訊くじゃないか…答えは何だね?聞かせておくれ」と、存外にオモシロがっているではないか!
しめた!
よしゃいいのにこの先をやっちまった…「エヘン!答えはですね…世界一不幸な男は~…日本の家に住んで、アメリカ人の執事を持って、イギリス人のコックを雇う男ですよ!」
ここでドッカ~ン!と大爆笑になるはずだった。
「フォッ、フォッ、フォッ、そうだね、確かにイギリスの料理はマズイからね~」…と。
ところが、現実はその予想と全く異なる結果となってしまった。
笑うどころか、ジムの顔色はにわかに変わり、真剣な顔をして私にこう言った。
「オイオイ、ヘンなことを言わないでくれたまえ、シゲよ。
イギリス人のコックのナニが悪いのかね?
イギリスには料理自慢のテレビ番組だってあるのを知らんのかね!」
ニコリともせずにこういった。
冷汗…雰囲気最悪!
その様子を見て取ったスティーブが間に入ってくれて「マァ、マァ」となった。
と、そこへジムがオーダーしたステーキが運ばれてきた。
「オオ!これで助かる!ウマイものでも食えばジムの機嫌もよくなるさ!」と胸をなでおろしたのもつかの間…「オイ、これはナンだね?」と皿の上の薄切りの肉を指して明らかにムっとしている。
「シゲ、私はステーキを注文したハズだぞ」
そう、ジムが食する「ステーキ」は最低でも厚さが3cm以上なくてはならないのだ!
ジムの前の皿に乗っていたステーキはスーパーで売っているような3パック1,000円ぐらいの薄切りの牛肉だったのだ。
「これでもステーキのつもりなのか?
フン、史上最大の大惨事(Catastrophe)だな…コレは。
そうだ!これは『タイタニック・ステーキ』という名前の料理だろ?
フォッ、フォッ、フォッ!」
ガックシ。冷汗。絶望。
この後、一体どうなることやらと思いきや、どうもジムは自分がつけた「タイタニック・ステーキ」という名前が大変に気に入ったらしく、なんと上機嫌に戻っているではないか!
皿の上の肉はたいらげなかったものの、テーブルにまた笑いが戻って来た!
これには本当にホッとした。
この後、ホテルのバーに移動し、みんなで18年もののマッカランを飲んで楽しく過ごすことが出来たのでした。
翌朝、ホテルに迎えに行った時、前夜のことを詫びるとジムはニコニコして「Never mind(気にしなさんな)」と言ってくれたが、ひとりボソボソ「史上最大の惨事、タイタニック・ステーキ」って言ってはおかしそうに笑っていた。
 
別の日には中華街の当時私の叔父が料理長と務めていた中華料理店へ繰り出した。
マッカランの話し。
ジムはとにかくこのスコットランドのスペイサイドで蒸留されるスコッチ・ウイスキーの猛烈な愛飲家だった。
マッカランとハヴァナ産の葉巻は必須だった。

Mac
さて、店に入って予約してあった席に着く。
ウェイターに「お飲み物は?」と訊かれ、「マッカラン、いっちょ!」なんて言って簡単に出てくりゃ話しは早い。
ここは中華料理店、出てくる道理がない…しまった!またしても大不覚!
どっかの洋酒販売店で買ってくればヨカッタ!
すると私の優秀な部下がスックと立ち上がって「私、買ってきます!」と脱兎のごとく店の外へ飛び出して行った。
30分も中華街中を走り回ってくれたであろうか?
老酒はあっても中華街中をくまなく探してもマッカランなんて出て来るワケがない。
その部下は汗だくで帰って来て…「スミマセンッ!見つかりませんでした!」と今にも責任をとって切腹しそうな勢いだ。
ジムはそんな彼を見て「どうもありがとう、いいよいいよ、日本のウイスキーを試してみるよ…」とニコニコやさしく言葉をかけてくれたのであった。
かくして日本のウイスキー(黒くて丸っこいボトルのヤツね)の封は切られた。
が、私が観測していた限りでは、ひとナメ程度したかしないか…。
ああ、封を開けちゃった…。
 
さて、上のタイタニック・ステーキには後日譚があって、この時から4か月後。
フランクフルトの楽器展示会で毎回開催されるMarshall主催の大パーティの時のこと。
世界中のMarshallの関係者200名以上を前にしてジムがスピーチをした。
最近のMarshallの状況を説明し、関係者にお礼を言ったあと、ナント「タイタニック・ステーキ」の話をしたのだ!
ジムは覚えていたのだ。
もちろん参席していた200名の関係者には何のことかほとんど理解できなかったであろうが、私は生きた心地がしなかった。

以上は以前にも公開した文章だが、生前のジムの片鱗を後世に伝えたいと思い加筆訂正のうえこのブログに再録した。
若かりし頃のジムにつきあった先輩の皆さんはビジネスの面で色々なことがあったことは想像に難くない。
でも、私がお付き合いさせて頂いたジムは、タイタニック・ステーキでハラハラさせられる程度で、本当に好々爺という趣きが強かった。
当時のパートナーと楽しそうにじゃれていたのを思い出す。
本当に楽しかった!
写真を入れたいのはヤマヤマだったのだが、案外残っておらず臍を噛む思いをした。
その時は面倒だと思っても写真はこマメに撮っておくに限る。

<後編>は貴重な写真をちりばめてお送りする<海外編>です。

ありがとうジム・マーシャル!<前編>~I Remember Jim!

Shige Blog 2012年4月18日初出

突然やって来た連絡は仲良しのギタリスト、三宅庸介さんからだった。

何となく、本当に何となく「ピン」と来た。「ジムだな…」って。案の定、三宅さんから携帯に届いたメールはジムの逝去を知らせるものであった。

前の日の晩、ブログのバナーの件でデザイナーが家に来てくれて音楽の話しに花が咲いた。フランク・ザッパ、ザ・バンド、リトル・フィート、ジェントル・ジャイアント、とコロコロと話題が変わり、行きついた先は偶然ジム・マーシャルだった。ジムが歌った自主制作のCD『Reflection of a Man』に収録されているガーシュインの「S'wonderful」を聴きながら「ん~、ベルベット・ヴォイス~」などと話しをしていた。

まさに「虫の知らせ」。この現象は科学的にはまったくただの偶然として片づけられている…ことは知っていたが、この出来事を「虫の知らせ」としてただの偶然と片づけることができる人間は恐らくこの世にいまい。

ジェイムズ・チャールズ・マーシャル。イニシャルは「JCM」。彼がいなかったら今日のロックはなかったと言っても過言ではなかろう。

私はジムと仕事をすることができた最後の日本人として最高に幸せだと思っているし、そのことを誇りに思っている。

ジム・マーシャルの偉業はあらゆるところで触れているので、ここでは割愛することにして、晩年のジムとの思い出をここに認め、哀悼の意を表したいと思う。

はじめて生のジムに会ったのは1998年のことだった。私も若かりし頃、1959のハーフ・スタックの中古をゲットして新宿ロフトやら渋谷の屋根裏のブッキングの末席を飾らせていただいていたので、そりゃホンモノのジム・マーシャルにお会いすることができた感激は大きなものであった。

その時、ジムはJCM2000 TSLシリーズの発表会にデモ・バンドとともに来日したのであった。バンドのメンバーはギターがジェフ・ホワイトホーン(プロコル・ハルム)、ベースがジョン・キャリー(セッション・ミュージシャン)、ドラムがジョン・リングウッド(元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)という面々だった。ジムは東京、名古屋、大阪とすべての発表会に出席し、熱心にバンドの演奏やデモンストレーションに聴き入っていた。その姿がマジメそのもので、やはりどんな分野であれ、歴史に名を残すような人の上に立つリーダーというものは威厳があると感じたものだった。

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そして、次にジムが日本にやって来たのは2000年、『マーシャル祭り』の時だ。 この時は、満を持して世に問うたValvestateの後継機種、AVT(Advanced Valvestate technology 2000)シリーズの発表会も兼ねていた。AVTは2203を彷彿とさせる分厚い歪みが売りのシリーズで、特にAVT50はザック・ワイルドが愛用していることで名器と謳われた。

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この時も発表会の後のショウをジックリと見てくれて、最後に出演者全員にマーシャル特製ウイスキーを贈呈してくれた。その時ジムが出演者のひとりであった王様の顔を凝視して、「君の顔には面白いものが描いてあるね!」と言ったのを忘れられない。

下の写真は打ち上げの時に撮影されたもの。同じく出演者のひとり、中野重夫とのワンショット。この時、シゲさんと2人で懸命にジムにお願いしたのを覚えている。「ジミ・ヘンドリックスが名をなしたのはロンドンでのこと。日本のジミ・ヘンドリックスをロンドンに呼んでくれんませんか!」と。

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最高に楽しい一夜だった!

シゲさんが過去にジムが来日した際、イギリス大使館でジムの前で演奏をしたことがあった。ジミヘンだけについ「アメリカ国歌」を弾きそうになったというが、寸止めしたらしい。危ないっつーの!

2001年10月、楽器フェアが開催され、前年に引き続き『マーシャル祭り2』が企画された。残念ながら前月の9月11日のテロ事件を慮り、ジムは来日をキャンセル。ジムが来れなかったのは残念であったが、時のマーシャルの担当者とジェフ・ホワイトホーンが来日し、幸いにも大成功をおさめることができたのであった。

そして、次にジムが日本に来てくれたのは2003年の楽器フェアだった。

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まさか、この時が最後の来日なろうとは夢にも思わなかった。

<中編>につづく

【お知らせ】Shige Blogが移転します

平素よりMarshall Blogをご愛読賜り誠にありがとうございます。

標記の件、Marshall Blogに先行すること6か月、2012年4月にスタートした姉妹ブログであるShige Blogは、現在Marshallの副教材的な存在として、また、Marshall以外の話題を掲載して現在に至っております。ご愛読いただいております皆様にはこの場をお借りして併せて深く御礼申し上げます。

さてこの度、諸般の事情により Shige BlogのURLを変更しました。新しいURLは http://www.shigeblog.biz  となります。

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この移転に伴い、Shige Blogに掲載していたMarshallに関する記事をMarshall Blogに引っ越すことに致しました。多数ではありませんが、更新のない週末に数本ずつ公開させていただきます。

Shige Blogの記事をすでにご覧いただいていらっしゃる方も多いかと存じますが、Marshallに関する記事をアーカイブ的に一本化したいという目的によりますことご理解願います。

さしあたりまして、ジム・マーシャルの思い出をつづった記事をこの後アップさせていただきます。

Shige Blogの方も徐々に整備を進めてまいります。その間、Marshall Blogからのリンクがうまく作動しないこともあろうかと存じますが、あらかじめご了承くださいませ。

今後ともMarshall製品、Marshall Blogを何卒よろしくお願い申し上げます。

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