【Marshall Blog Archive】田川ヒロアキ in 美ぎ島~私の宮古島 <後編>
<前編>の台風のビデオはご覧になって頂けましたか?
タイムラグがあるのは承知しているが、視聴回数が1日経っても「1回」のままなのはナゼなのか?
私と家内だけで10回以上は見ているんですけどね~。
アレってもしかして何回アクセスしても1人1回しかカウントされないの?
もうこのSNSのアクセス回数ってのはホントにワケがわからん。
ま、気にしない、気にしない。
Marshall Blogは見たい人、読みたい人が楽しんでくれればそれでいい。
で、ご覧になってくださった皆さん…台風スゴかったでしょう?
最近は東京でもかなり激しいヤツに見舞われるけど、やっぱり発生源に近いだけあって南国の台風はパワーが違う。
例えているとイギリスの高い電圧で鳴らすMarshallみたいなもんだ。
滞在4日目の宮古島はまさに台風一過、好天に恵まれた。
でも、もう東京に帰らなければならない。
青い海を見ずして帰るのはあまりにもモッタイないと思い、レンタカーを借りて島内をめぐることにした。
この時気が付いたんだけど、2日目のタクシーは失敗したよ。
レンタカーの方がゼンゼンお得だった!
車の中から我がホテルを仰ぎ見る。
前日は風であの建物がギンギンにスイングしていたんだから恐ろしい。
大きな牛が4階建てのビルの屋上に吹き飛んだ記録が残っているというからね。
レンタカー屋で簡単な地図をもらって観光ポイントをめぐる。
でも、飛行機の時間もあるのでサササと済ませざるを得なかった。
ま、青い海さえ見れればいいか…と。
海の見えるところはどこもキレイなんよ。
こちとら海といえばお台場やら江ノ島じゃん?
少なくともコレが同じ国の海とは思えんわな。
お台場の海と比べてみよう!
この「雪塩」は「含有するミネラルの種類が世界一多い」としてギネス・ブックに認定されているのだそうだ。
マングローブというのは海水と淡水が混ざるところに植生するのだそうで…。
当然アタマの中ではPANT&HALの「マラッカ」が鳴りまくっております。
絶景!
こんなの初めて見た!
浜に海の家があるワケでもなく、貸しボート屋があるワケでもなく、実にいい感じ。
その前に広がるパイナガマ浜。
これまで夜に来ていたのでわからなかったんだけど、ココ、こんなキレイだったのかよ!
「パイナガマ」というのを漢字で書くと「南長間」となるんだって。
宮古島の方言で「パイ」は南を意味し、「ナガマ」は「長(ナガ)い浜(ハマ)」が変化したモノとされているそうです。
こんな作り物みたいなキレイな水の中に魚なんているんかいね?という海の色。 そしてそこに建てられているのがコレ。
久松五勇士(ひさまつごゆうし)の碑。
久松五勇士は、1905年、日露戦争時の日本海海戦の直前、ロシアのロジェストヴェンスキー少将率いるバルチック艦隊が北上しているのを発見し、その知らせを宮古島から石垣島に伝えた5人の漁師の呼び名だ。
そんなのLINEで「バルチックが来てるよ~ (^_-)-☆」と連絡すればいいじゃん…なんて時代じゃないからね。
当時、宮古島には通信設備すらなかった。
そこで、まず通信機がある石垣島へ渡る必要があった。
交通手段は「サバ二」と呼ばれる下の写真のような小型の手漕ぎボート。
こんな写真だけ見ると「貸ボート1時間600円(税別)」のレジャー用に見えるかも知れないが、コレで5人は15時間かけて170kmを漕ぎ切ったという。
東海道で言えば東京から掛川のチョット出前ぐらいだからね、スゴイよ。
そして石垣島の港から30km山道を歩いて郵便局に行き、那覇の本局に打電。
そこから沖縄県庁を経て東京市谷の大本営にその情報が伝えられたという。
当時のロシア海軍は日本の3倍の戦力を誇っていた。
日本軍はバルチック艦隊がどのルートでウラジオストクへ行くのかがわからなかった。
対馬海峡経由の日本海ルートか、太平洋を北上して津軽海峡を横切るのか、あるいはもっと北上して宗谷海峡を横切るのか…。
久松五勇士の活躍によって、日本海軍は十分な準備期間を取ることが出来たため、この日本海海戦(対馬海戦)で勝利することができた。
…と言いたいところだけど、残念ながらそうはならなかった。しかし、勇気ある偉業が称えられ、こうしてお菓子にまでなってるワケ。
吉村昭の『海の史劇』という長編記録小説はこのバルチック艦隊がいかに苦労してヨーロッパから日本海海域までやって来たかが詳細に描かれている。
この五勇士も出て来るのだが、残念ながらほんの1~2行程度。
…というのも日本本土への連絡は日本郵船の旅客船「信濃丸」によるものが五勇士より数時間早かったため、五勇士が苦労して伝達した情報が直接役に立つことはなかったというのだ。
碑はサバ二を頂き、5人の勇士の名前を刻んでいる。
日本海海戦の勝利で活気づいた日本は日露戦争を勝利してしまう。
このことが大きな自信…というより「思い上がり」と「勘違い」になって、後に20倍もの国力を持つアメリカとの戦争につながり、大きな悲劇を生んでしまうワケ。
日露戦争の日本の勝利は世界に驚かれたが、戦後の処理については、日本はロシアから補償金をビタ一文取ることができなかった。
それどころか、「補償金?冗談はイケません。何ならリターン・マッチしましょうか?ダ・スヴィダーニャ」とやられる始末。
まさにトルチョック同然。
この辺りの交渉をしたのが時の外務大臣、小村寿太郎。
その交渉の過程を描いたのがまたまた吉村昭の『ポーツマスの旗』。
もう何度もMarshall Blogで紹介しているけど、コレの昭和54年の初版本を買ったもんだからまた登場させてもらいました。
オモシロいよ。
少なくとも今の政治家先生の皆さんはコレを読んだ方がよろしい。 今度は橋を渡ってすぐとなりの来間島に来てみた。
旅行会社の宣伝で南海の孤島を「天国に一番近い島」とか言って宣伝しているのを見かけて「ナニを大ゲサな…」なんて思っていたけど…その表現、わかるわ~。
コレらの眺めはこの竜宮城展望台から。
浦島太郎が亀に連れられて行った海もこんなに美しかったのだろうか…。
それで目が覚めたら木曽の山奥だからね~。
来間島の中をアテもなく車で回って海沿いに出てみる。
もう誰もいない。
この浜に家内と2人よ。
2人ともこの美しさにポカンと見とれて「キレイだね~」と言うばかり。
ライブハウスばかりじゃなく、タマにはこういう場所もいいもんだ。
目の前は東シナ海か?
ボ~っと、ズ~っと眺めていられる。
我々関東の人間が普段肉眼で見る海って太平洋、あるいはタマに日本海ぐらいじゃない?
こうして「東シナ海」なんてのを目の当たりにするとすごく不思議な感じがするね。
以前、サウスシールズというニューカッスルの近くの港町に行った時、B&Bの部屋から見える海を指して、に「あの海は何?」と係りの女性に尋ねると「North sea」と言う。
「海の向こう側はどこ」なんて「La Mer」という有名なシャンソンみたいなことを続けて訊くと、その答えは「スウェーデンよ」だった。
メッチャ感動したわ。
さて、『美ぎ島ミュージック・コンベンション』。
まず…「美ぎ島」は「かぎすま」と読む。
この時は7回目の開催で、3日間にわたりコンサートが催され、山崎まさよし、EGO-WRAPPIN'、大橋卓弥、Orquesta De La Luz、秦基博、キマグレン、GONTITIなどの人気アーティストが集まった。
人口5万人強の南の島に大勢の音楽ファンが押しかけ、3日間にわたってドップリと音楽に浸る趣向。
通常コンサートは2日間を野外のグランドで、最終日をビーチで開催するのだが、<前編>でレポートした台風2号によりグランドでの開催は断念することになった。
そこで代替となった会場は宮古島市中央公民館。
会場へ向かう人たち。
これまで7回のコンベンションの歴史のうち、屋内で開催するのはナント今回が初めてだという。
実際、地元の方々も口々に「こんな時期(5月)に台風なんか来たことない!」と漏らしていた。
これが中央公民館。
中に講堂があって、そこでコンサートが開かれる。この初日、宮古島出身のHARVESTAでステージは幕を開け、12組のアーティストが登場し素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた。
ヒロアキくんの出番は6番目。
出番前に楽屋で談笑する西慎嗣さんとヒロアキくん。
ヒロアキくんの出番が近づく。
準備万端!今日も指がよく動くゾ…っと。
美しい『ミュージックコンベンション』のバックドロップ。
ただ今、転換中。
チャンとヒロアキくんのMarshall届いてます。
会場もほぼ満員。
なんかみんなオニギリとか持って来てる雰囲気でいいね。
今日もMarshallの調子はバッチリ!
この頃はMarshall初のデジタル・アンプ、JMD:1のコンボ、JMD501を愛用していた。
スピーカーは交換済。
2人でスタジオにこもって、ああでもない、こうでもないと実際に試して搭載したスピーカーだ。
準備万端、いよいよショウがスタート!
まずは 予定通り得意のア・カペラのギターソロから…。
コレって、もしかしたら「JMD宮古島初上陸」じゃない?
だとすると、エンゲレスの秘宝をペルリ・ヒロアキが伝来させたことになる。
ソロはいつも通りクリーン+空間系エフェクターのサウンドで美しく、おしとやかにスタートする。
得意のスラッピングが痛快だ!
そして、野太いクランチ・サウンドに乗り換えて徐々にエキサイトし始めていく。
最後はギンギンのディストーション・サウンド。フィンガーボードの端から端までを縦横無尽に走り回る左手、完璧なコントロールでスウィープ・フレーズを紡ぎだす右手、このコンビネーションが一大ギター・スペクタキュラーを演出した。
それにしても度胸のいい人だ。そして堂々たるステージ・マナー。バンドのメンバーが揃わないというのにまったく臆することなく自分の仕事を完璧にこなしていく。観客の目と耳は100%ヒロアキくんのプレイに釘付けとなっていた。このヒロアキくんの顔!
会場を震わさんばかりの大拍手&大歓声なのだ。
思わずこっちも「ヤッタ!」と心の中で快哉の声を上げてしまった。
ドラムスの高仁範が登場。
さて、問題はここからだ!ドラムの高くんと2人でこの先舞台を切り回さなくてならないゾ!
「今回はベーシストがどうしても参加することができず、高くんとふたりで演奏せざるを得なくなってしまった…」というコメントがヒロアキくんから発せられる。
続けて「でも、お願いして強力な助っ人を得ることができた」と付け加えた。
そして登場したのがベース界の大御所、中村キタローさん。今回も山崎まさよしさんのバンド他で参加。
登場した瞬間大きな拍手が沸き起こる!
ノッケから超ノリノリ・モードだで「ヒ~ロアキ」コール。
「図々しくもキーボードも助っ人をお願いしまして…」と登場したのはこの直前に出番を終えた椎名純平率いるDezille BrothersからキーボードのSWING-Oさん。
一気ににぎやかムードに!
そして「ヒ~ロアキ」コール!
何しろブッツケ本番。曲は超高速のブギ。でも、どう見てもこれがはじめて演奏しているとは思えない完璧なアンサンブル、そしてノリ!
クールにソロをキメるSWING-Oさん!
何とスリリングな演奏だろう!
やっぱり派手な演奏はフェスティバルにマッチするね。
エンディングの後の歓声をお聞かせできないのが残念無念!
チョット~、まだこれでは治まらない!
今度は西さんの登場だ!
貫禄の西さん。
あの素晴らしい音色とプレイが聴けるのかと思うとうれしい!
2005年の野音の『Lightning Blues Guitar Festival』以来かな?
曲は循環コードに乗せてたおだやかに進む。そこにヒロアキくんの即興の歌がかぶさる。
テーマは「ありがとう美ぎ島」だ。
途中は西さんとのブルース・ギター・バトル!これは聴き応え満点でしたゾ!
ギターっていいナァ~。
キタローさんのバックアップも完璧!名手が低音を受け持つとサウンドが一辺に分厚くなるのだ!
さて、波乱万丈のステージもアッという間に最後の曲となってしまう。
ここに来てもうひとり助っ人が登場!
椎名純平さんだ!
ここでまた雰囲気が一気に変わる。
もう台風が上陸したのかと思うほどのパワーが加わる。
今度は飛びっきり明るく楽しい台風だ!
曲はヒロアキくんのオリジナルで「The Beat to Hit」。
で、この2コードのイキのいいドライビング・チューンに純平さんが即興で言葉を乗せていく。テーマは「台風」。
「台風来るな!」で絶唱!
この時はまだ台風2号が上陸していなかったからね。
純平さんの歌を聴いていたら映画『ウッドストック』を思い出してしまった。
降り出しそうになった雨を止めようと50万の若者達が「No rain, no rain!」と叫ぶシーンだ。
しかし、エラくにぎやかになったな~。
前日の寂しいリハは一体ナンだったんだッ?「ヒロアキ+高」のふたりデュオもさぞかしスリリングだったろうが、キタローさんをはじめ超強力な助っ人陣のおかげで思いがけず滅多に観ることのできない豪華一大ロックショウとなったのであった!
公民館から歩いてそのまま「ぱいながま食堂」へ。
キタローさんも合流して打ち上げ。
この時も楽しかったね~。
と、腹ごしらえも終わったところでみんなでダウンタウンへ繰り出した。
市内の6つのライブハウスを音楽のタイプで振り分け、2,000円のチケットを買えばどのお店にも入れるという親切企画。
各会場の出演者はコンベンションのアーティスト。
メタルやプログレはないよ。
ここはJANG JANGというお店。
もうこれで12時は回っているかな?
それでも山崎さんが出ているのでスゴイ熱気なのです。
山崎さんが私のカメラを見つけて「♪カメラマンさん~」と歌いかけて来てくれたので、私も歌って返事をさせて頂いた。
最終日。
台風が去って、文字通り晴れて屋外でコンサートが開かれた。
これが本来の会場、「前浜ビーチ」。
イヤ~、コリャ確かに暑い!
日差しが東京のモノとはゼンゼン違うのね。
でも空気がキレイで直射日光に当たっていても気持ちがいい。
そして、暑くて我慢ができなくなりゃ後ろの美しい海に飛び込めばいい!
もう台風のこともすっかり忘れて、絶好のライブ日和となった。
最高のアーティストが矢継ぎ早に登場するステージに観客も夢中だ!
楽しかったナァ。
聞けばココには「宮古病」という一種の風土病があるらしい。
それは、一度宮古島を体験してしまうとすべてを放り出してでもまた来たくなってしまうという厄介な病気なのだそうだ。
こうして初の沖縄/宮古の旅は終わったのだった。
楽しかったナァ。
こんな機会を与えてくれたヒロアキくん、美瑞穂さん、9年経っても改めて御礼申し上げます。
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano