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2013年1月 8日 (火)

【Music Jacket Gallery】ミュージック・ジャケット・ギャラリー2012

2012年のレコード大賞はAKBだったようですな。服部克久氏の発言が一部では取り沙汰されたそうな…。話題になっていたのでYouTubeでそのシーンを確認してみた。別に「発言」ではなくて、ごく普通の挨拶に見えるけどな…。

それよりも、この件とは関係なしに、そもそもレコード自体なくなってしまった昨今、この名称を冠することもさぞ苦しかろう。名称は「CD大賞」でも何でも一向に構わないと思うが、業界の方々と話していても「とにかくCDが売れない」の連発で、こういった音楽パッケージ商品のコンペティションの存続すら意味を失おうとしているように見える。また、「レコード」という言葉は、我々レコード育ち世代がこの世を去るより前になくなってしまいそうだ。

私もお仕事で音楽関係の色々な方々と接する機会があるが、みんな口をそろえて「最近の音楽はどうも…」と否定的なことをおっしゃるが、一向に変化の兆しが見えて来ませんね。もっと「CDを買いたい!」と思わせるような素敵な音楽が出てこない限りCDの売り上げも好転しないでしょう。音楽配信に負けないようなCDの出現を期待するしかない…としつこく思うんですよ。アナクロニズムと思わば思え。

「マーシャルにCDの売り上げの何の関係があろうか?」と訝しむ方も多かろうが、前から言っている通り、「楽器は音楽の僕」であり、音楽が盛んにならないと楽器の出番がなくなってしまうと信じているからである。みなさんが好きなゲームだっていいソフトがなければどんなに最新の装置があっても意味がないでしょ?それと同じ。あの手この手でCDの、物質的音源の魅力を若い人たちに伝播させないと!

その魅力のひとつがCDの入れ物、「ジャケット」である。その「CDを買いたい!」と購買者に思わせる大きな可能性をジャケットは持っていたりするんだけどね。もはや「ジャケ買い」という言葉も完全に死語となった。

昨年、田川ヒロアキ氏のニュー・アルバム『アヴェ・マリア』のジャケット制作に関わった。ジャケット写真の撮影を担当させていただいたのだ。

これがですね、ジャケットってのは眺めるのと作るのとでは大違い!一枚一枚心を込めてシャッターを切りましたよ!美しい音を奏でる素晴らしいマーシャル・プレイヤーのひとりでもあるし、「いい作品になれ!」、「ヒットしろ!」って願いを込めてね。

おかげさまで、素晴らしい内容と梅デ研の秀逸なデザインのおかげで我ながら納得のいく仕上がりとなった…とひとり悦に浸っている。

Tagawa

 

これだもん、ピンク・フロイドあたりがヒプノシスにデザインを依頼するのも、ヒプノシスが次から次へといい作品をピンク・フロイドに提供したのもわかるってもんだ。お互いにいいものを作ろうっていう気概があったのだ。

それほどジャケットは大切なのだ。

今日はコレ。ゴメンナサイ、写真に写っている人たちが半袖を着てる。古いネタで恐縮であります。

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以前のブログでも紹介した『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』のお話し。東京は2012年7月 19~24日まで新宿の高島屋で、大阪は7月27~8月1日までHEP HALLで開催されたレコード、CDのジャケット展だ。

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展示はいくつかのテーマの他、MJG(ミュージック・ジャケット・ギャラリー)でおなじみの日本屈指のコレクター、植村和紀氏のコレクションが陳列された。

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ウワさをすればヒプノシスの名作ジャケットたち。そういえば、おととしは展示予定のコレクションの運搬中にトラブルが発生し、急遽一日だけヒプノシスのジャケットを並べて危機を回避したのだった。

いずれにしてもヒプノシス作品はいつ見ても素晴らしい。そのデザインだけでなく、どの作品も音楽の内容がいいからだ。

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さまざまな立体ジャケットの展示…

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上段左の1959を模したRHINOの4枚組コンピレーション・ボックスも再登場。

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ピンク・フロイドのボックス・セット他。

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ピンク・フロイドの諸作はこうして並べるといよいよ素晴らしいね。視覚と聴覚、音楽とジャケットのコンビネーションの頂点に到達した。

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今回もジャケット・デザインの人気を競う「ミュージック・ジャケット大賞」の投票が実施された。

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大賞の候補、CD50作品と豪華パッケージ15作が展示され、その場で投票が行われたのだ。

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すでに結果は発表されているのでコチラをご参照されたい。

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この他にもCDの魅力を伝える展示が色々と施された。2012年はCDが登場して30周年だったんだね。

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そういえば、はじめCDプレイヤーを持ってなくて、会社の同僚にカセットテープにダビングしてもらって聴いていた。初めて買ったCDはチャーリー・パーカーの『Bird at the Roost』という2組の未発表音源の2枚組ライブ・アルバムだった。LPが出なかったから仕方なくCDを買った。その次は確かルー・ソロフの『Yesterdays』だった。マイク・スターンが好きだったからね、あの頃は。

あれから30年も経ったのか…。

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CDの製造過程を説明した展示。

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高音質CDの聴き比べコーナー。

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CDに替わるメディアたちの展示も。

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これらはPLAYBUTTONっていうんだってサ。失敬ながら雰囲気出ないナァ。媒体としてメモリースティックも取りざたされていたこともあったが、どうもダメだったみたいだね。やっぱ回らないとダメなんだよ、音楽メディアは。

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「ブリティッシュ・ロック&ポップスの50年」という展示も設置された。ブリティッシュ・ロックねェ…。本当に好きだからあえていうけど、何とかならんものだろうか…。BPI(British Phonographoc Industry)のおエライさんはいつも「UKのアーティストがアメリカのヒットチャートをにぎわしている」っていうけど、サッパリうれしくないっつーの。

個人的に言わせてもらえば、イギリスからギター・ヒーローが出てくるまでプログレッシブ・ロックを除いてブリティッシュ・ロックは謹慎処分としたい。ギター・ヒーローは君たちが作ったものじゃないか!なのにどうしてこんなことになっちゃったんだ?!

と力んだところで、若者の間では「ブリティッシュ・ロック」という言葉すらもう使われてないんだってよ!「UKロック」ってんだって。マーシャルの友人にこの話をしたら「そんな言葉は存在しない!我々の国の音楽は『ブリティッシュ・ロック』だ」とハッキリ言ってたぞ!

「どうしてブリティッシュ・ロックが栄えたか」という説明が展示されていた。「地域性の違いによってバラエティに富んだ音楽が生まれた」的に分析されていたように記憶しているが、その通りだと思う。イギリスの人たちは「オラが村」のロック・スターを本当に誇りに思ってるからね。

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CDが初めて発売されたのは1982年の10月1日のことだったそうだ。

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こんなごっついプレイヤーだったんだね。初CD作品はビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』だった。

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この一作をとっても30年の間にこんなにたくさんのバリエーションが生まれたんだね~。

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さて!さてさて!面白いものをアタシは発見してしまいましたよ~。MJGとは直接関係はないが、音楽を聴くものとして実に興味深い文献にブチ当たった。ちょっと長くなるけど興味のある人はお付き合いくだされ。

冒頭に記した通り、私は巷間の音楽がツマラン的なことをしつこく書いている。だってホントにツマんないんだもん。

その遠因として録音の状態があまりにもドイヒーではなかろうか?ということも示唆してきた。極度な「ドンシャリ」。イヤホンで聴くことを前提として高音と低音をアッピールしているのかもしれないが、ギターなんか歪みすぎということもあって何を弾いているのかさっぱりわからん。コレじゃ子供たちだってギターのコピーなんかできっこない。だから譜面に頼る。譜面ったってTAB譜だよ。結果、「耳コピ」なんておかしな言葉まで生まれてしまう始末。鼻でコピーができるか?ってんだ。

さて、このドンシャリ問題、実は歴史的に今が初めてではないらしいのだ。

以下は石井宏さんという音楽評論家の『帝王から音楽マフィアまで(新潮社)』という1993年に上梓された辛口のクラシック音楽論評集から。書かれた時期の正確な記載がないが、1989~1992年の間に執筆されたようだ。テーマは「CDは腐る」という内容の評論。

この文章がもっとも初期の1989年に書かれたと仮定しても、1982年のCDの発売から7年も経っていることになり、いささかタイムラグが大きすぎる感は否めないが、私が興味を持ったのは主テーマの「CDが腐る」という箇所ではまったくないので問題なし。何千枚も持っていて今更CDが腐るといわれても困るばかりなのだからそんなことはパスしちゃう。

この方がおっしゃるには、「録音の百年史(当時)は進歩の歴史であって、進歩のたびに軽便化をともない、ある種の抵抗をともなってきた」という。

その通り、それと技術が進歩して再生メディアが多様化すると、レコード会社はハードの形態に追われる格好となり、どうしてもたくさん売れるソフトの制作に専念し、音楽作品のバリエーションが少なくなってしまう。これは私の意見。このことは一種の経済政策で、ソフトの進化よりもハードの進歩を政府が推奨しているから…という話しを聞いたこともある。

まだまだCD化されていない作品は山ほどある。が、それでも30年の間にCDはかなりLPのバリエーションをカバーしてきたと個人的には感心しているつもり。

で、「この技術の進歩、蓄音機から電気蓄音機(電蓄)に移行した時、愛好家たちから『騒がしいだけで音がヒドイ!』と酷評された」そうだ。電気の力を借りて大幅にアップした音量に愛好家たちは辟易したのだ。

その後、我々世代にはおなじみのLPレコードが出現する。「LP盤は従来のSP盤に比べて割れにくく、収録時間も長い上にノイズも少なく、格段の進歩を遂げ急速に普及した。しかし、やはり愛好家たちは音質面で抵抗したのだった。

『LPの音はドンシャリだ!』…と。

当時のソフト会社もハード会社もLPの機能を活用してこのドンシャリを強調しようと狂奔した。そして、このドンシャリに抵抗した人たちは『音楽はどこへ行ってしまったのだ…』と嘆いた」という。

また、「(装置の)軽便化はまた内容の軽便化だった」とやっておいて、「SPレコード時代には、そこに詰まっているものは確かに『芸術』であった」とも述べていらっしゃる。音の悪いノイズだらけのSP盤からいい音楽やモノスゴイ演奏を聴き取ろうと真剣に音楽と対峙したというのだ。きっとBGMなんて概念すらなかったに違いない。

何のことはない、まったく同じことを今でも繰り返しているのである。おもしろいナァ~。

こうしてソフトの形態に関しては、技術の進歩にともない数々の変遷を繰り返してきた。ところが、サイズの変更はあれど、ソフトの容器であるジャケットはいつの時代もソフト自身のそばにあった。これが今なくなるかもしれないという事態に陥っている。

あなたはジャケット要りますか?それとも要りませんか?(即答)私は要ります!

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…これでおしまいにしようかと思ったが、仲良くしていただいている著名な音楽評論家のお友達からこんな情報をいただいた。音楽配信の利用に関する、あるアンケートの結果が波紋呼んでいるそうだ。

それは、「音楽ダウンロードの利用経験(私は皆無。アンチだから)、頻度がともに減少傾向にあって、1か月あたりの音楽にかける金額についても0円という回答が68.6%を占めた」という。それで、「違法ダウンロードに対する刑事罰強化で売り上げが上がると思うのか?」と反駁の意見が寄せられているよう。

音楽離れが進んでいるのは、「音楽」がゲーム他、音源メディア以外の手段で提供されていることもあるだろうが、基本は冒頭に書いたことに尽きると思う。いい音楽がないから音楽から離れちゃうんじゃないのかしらん?

レッド・ツェッペリンやディープ・パープルが盛んなりし頃にこの配信システムがあったら、私だって利用していたかもしれない。そして、それで気に入ったらちゃんとレコードやCDを買ってましたよ。なぜならそれに値する音楽だと思うからね。

昔は何しろレコードの内容に関する情報は文字しかなくて、雑誌のレビューなんかを読んで、試聴なんかまったくせず「イチかバチか」清水の舞台から飛び降りるような気持ちで大枚はたいてLPを買うワケだ。当然レビューは「売らんかな」でいいことしか書いてないので、中には「大ハズレ!」なんてこともしょっちゅうだった。

でも、そこから新しい知識を得ることも多かったし、高い金を払ってせっかく買ったので、好きになるまで根性で繰り返し聴くなんてことも当たり前にしていた。音楽も新鮮に聞こえた。先の石井先生じゃないけれど、演る方も、作る方も、売る方も、聴く方もみんな今よりも音楽をもっと愛していたように感じますな。

やっぱり気にいったものや好きなものは形として持っておきたいのが人情だと思うんですよ。そういう音楽じゃないから誰もCD買わないのではないか?と信じてる。

このアンケートには、「日本の音楽業界はこのまま死んでいくのかな」と将来を憂う、ごく常識的なご意見も散見されているようだが、死んでも不思議はないんじゃないかしら?だって聴きたい音楽がなければ誰も音楽なんて聴かないでしょ?

よくサ、「無人島に持っていく1枚」とか「我が青春の1枚」みたいな、お気に入りのレコードやCDについて語る企画ってあるじゃない?アレ、近い将来なくなるよね。もしくは「無人島に持っていく1ダウンロード」とかいうのかね?イヤ、待てよ、そもそも電波が通ってダウンロードできるデジタル機器があれば無人島も怖くないのか…。やっぱりこの手のアンケートは絶滅するね。

また書くけど(今日はもうソロソロ終りね)、まずは「楽曲」と「アーティスト」という言葉の使い方を見直してもらいたい。単なるレトリックの問題と軽んずることなかれ。我々は言霊の国の住人だ。英語の2.5倍もの語彙で日常生活を送る国民だ。世界でもズバ抜けて言葉に対する感受性が高い民族のハズだ。

だから現在流布している巷間の音楽が「アーティスト」が奏でる「ガッキョク」なんかではないことは、音楽を売る方も買う方もみんなウスウスわかっているハズだ。これらが素直に「うた」と「歌手」と呼ばれる正常な状態に自ら戻らないことには、日本の音楽業界は死にゆくことを拒否できなくなるのではなかろうか?

「歌手」が届ける「うた」があった時代は、流布する曲も今より格段にクォリティが高く、演奏者にも高度な演奏能力もあった。でも、誰も「ガッキョク」だの「アーティスト」なんていう大げさな言葉なんか使わず、音楽を心から楽しんでいたように記憶している。

「輝く!日本配信大賞」…誕生の日も近いのだろうか。ナンカ通信機器のメーカーの新商品コンテストみたいだな…。

(写真提供:株式会社 金羊社 奥平周一様 この場をお借りしてご協力に深く感謝申し上げます)