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2025年5月12日 (月)

amber lumber~山本生誕3Days! <前編>

 
今年もやって来た山本征史の誕生日…ということでamber lumberの単独公演。
もちろん会場はamber lumberのホーム、神田SHOJIMARU。
10vアレ?…SHOJIMARUの住所は「神田淡路町」かと思っていたんだけど「神田須田町」になるのか…。
以前は銀座線「神田駅」の「須田町口」にあった「須田町デパート」にわずかにその名残りを見せていたが、神田須田町は「萬世橋停車場」を擁する東京屈指の繁華街だった。
下は大正時代に発行された萬世橋停車場の絵葉書。
この東京駅に比肩する立派な駅舎は、当の東京駅の駅舎を手掛けた「辰野金吾」の設計。
「駅」ではなく「停車場」という言葉を使っているのは恐らくこの時代には「駅」という言葉がなかったからであろう。
夏目漱石の小説には登場人物が鉄道に乗る場面が時折描かれているが、「駅」という言葉は一度も出て来ない。
すべて「停車場」という単語を使っている。
で、この萬世橋停車場、残念ながら大正12年の関東大震災で崩壊してしまい神田須田町の繁栄も衰退の一途を辿ることになった。
跡地にはかつて「交通博物館」があったが、今はもうない。
Msbところで、神田周辺の地名には「神田小川町」、「神田司町」、「神田練塀町」、「神田紺屋町」のように「神田」の2文字がアタマに付いているでしょう?
以前にもどこかに書いたような気はするが…コレは昭和22年に行政がそれまでの東京15区のウチの「麹町区」と「神田区」を合併して「千代田区」にしようとした時、神田区の住民が強硬に反対したから。
「てやんデェ!こちとら神田の生まれよ!神田が神田じゃなくなるなんてまっぴらゴメンでぇ!」
と合併を了解しなかった。
そこで、行政は神田区時代の地名の前に「神田」を付けることで住民と折り合いをつけて「千代田区」を誕生させたのだそうだ。
一方、日本橋には「日本橋室町」、「日本橋人形町」、「日本橋茅場町」等、「日本橋」を冠した地名が21もある。
コチラも「日本橋区」と「京橋区」が合併して「中央区」となる時、「日本橋」という伝統の地名を残すためにそのような処置をとった。
そういえば、数年前に東京大空襲を経験した本所出身の90歳を越えるおジイさんの話を聞きに行った時のこと。
そのおジイさん、今でもジャズ・ピアノを職業とされているものすごいベランメエ調のお方でこんなことをおっしゃっていた…「オレは本所の生まれよ。本所と向島をくっつけて『墨田区』ダァ?フザけんな!オレの住所は今でも本所区だと思ってんだ!」
カッコいい!
田舎者が集まる役所のバカ連中が「利便性がどうの」とか言って旧町名を切り貼りしたり「東西南北」をアタマにくっつけて味も素っ気もない地名に改悪してしまったんだね。
で、下はその「神田神保町」で10月に開催される古本市。
コレを見て歩くほど楽しいことはない。
開催中、何度も出かけて行ってはブックオフではついぞ見かけない本を買い込んで来る。Img_1762 去年の古本市では下のアイテムを購入した。
コレは安政時代と現在の東京の地図を重ね合わせて行ったり来たりすることができるCD-ROM。
定価が14,800円(税抜き)もするのだが、それをゾッキ本扱いで4,000円ぐらいで手に入れた。
コレがベラボーにオモシロい。
ところが、イジくっているウチに全く大した内容ではないのだが、商品に関する疑問が浮かんできた。
そこで、出版元の市川にある「株式会社エーピービーカンパニー」という会社に電話をしてみた。
受け付けの女性がとても親切で、私が質問の概要を告げると「社長と替わります」とおっしゃる。
「しゃ、社長?」…イヤイヤ、社長にお出まし頂くほど大層な質問ではないんですけど…。
すると、すぐにその社長が電話口に出て来た。
自分が神保町の古本市で当該の商品を買ったことを伝えると、私のことを覚えていらしゃって改めて手厚いお礼の言葉を頂戴した。
私の疑問はアッという間に解決し、自然と雑談のコーナーに入った。
聞くと、その社長は地道なフィールドワークを繰り返してほぼ1人でこの地図のソフトを制作したいう。
別冊の索引の詳細さも尋常でなく、数人の仲間はいるにせよこの大業を1人で達成するとはにわかには信じがたい。
私が上に書いたような「地名改悪」の話や東京の地理に関する話を口にすると、社長は私のことを熱心な「ブラタモリ」のファンだと思ったのか、「大変だけど、楽しいですよ!」と言い出して「実はお客さんのような方を探していたんです。どうです?仲間に加わりませんか?一緒にやりましょう!」と熱心に誘ってくださる。
もちろん丁重にお断りしたが、ビックリしてしまった。
世の中には色んなことをやっている人がいらっしゃるものである。
12_img_3395地図といえば…「タモリ倶楽部」にも数回登場した地図の研究家で多くの地図に関する本を著している「今尾恵介」さんは私の親しい友人でジャズ・サキソフォニストの「今尾敏道」くんの実兄だ。
この信州の本もゾッキ本扱いで神保町の古本市で購入した。
Img_3398 で、この重ね地図を使って安政年間に今のSHOJIMARUの場所にナニがあったかを調べてみてビックリ!
ナント、私の地図の見方に誤りがなければ、約170年前には「山本」さんという人が住んでいたようなのだ!Kandasuda ということで会場のようす。
20今回も楽しいamber lumberグッズがズラ~リ。30今回のステージはこんな感じ。50下手には征史さん愛用のMarshall「SUPER BASS」のハーフ・スタック。60v上手にはアキラさん愛用のMarshallのアコースティック楽器用アンプ「AS100D」。70定刻になってamber lumberの2人がステージに現れてまずはご挨拶。
「気を遣って頂いて本当にありがとうございます。明日で55歳ににゃります。
自称50歳の相方が横にいるんですけど…以前は同い年だったんですが段々年齢が離れてきているらしい。
そろそろ敬って欲しいと思っています。
今日もタップリと曲を用意していますので最後まで楽しんでいってください」80v「今、また新しいアルバムの準備中でして、今日はそのアルバムの1曲目から途中まで曲順通りに演ってみようかと思っています。
で、新しいアルバムの1曲目はナントこの曲…」110vと紹介した今日の1曲目は「ランデヴー」。100_rdv森永JUDYアキラ110v山本征史120v明るく楽しい曲調でノッケからノリノリ・ムードの今日のamber lumber。130征史さんが明さんに接近してデュオ・チームとしてのムードも満点。
今日も仲良くやりましょう!
0r4a0154 2曲目はガラリと雰囲気を変えてシリアス・ムードの「冗談じゃない」。150_jdln後半では早くもエキサイティングな征史さんのベース・ソロが飛び出した。160v「ヒゲがはえてる」と征史さんのヒゲを発見したアキラさん。
「ナンカね、ヒゲが似合ってますって言われて、剃ろうかと思ったんだけどそのままにしておきました。
どう?似合ってます?」
165v「その新しいアルバムね…『新しいアルバム』って言ってもみんなが知ってる曲ばっかりと言うか、いつもamber lumberのライブで演ってる曲をまとめている感じなの。
『福丸レコーズ』というこのSHOJIMARUがやっているレーベルの配信があって、そこの間宮さんという人が好き勝手にアレンジしてくれたんです」
今回で3枚目となる間宮さんとの共作。
音源の制作に当たっては、いつもは歌を歌うだけだったというアキラさんが制作に深く関わった。
何事も諦めずに細部まで執拗にこだわったその姿勢はまさに「粘り腰」だったとか。
180タイトルについても説明があった。
「ずっとタロット・カードで進めて来ましたが、今回は17枚目の『スター』。
星ですね…すごく重要なカードなんです」
「今までの絵の中で1番かわいいですよ」とアキラさん。S41a0107_2 「ウチで飼ってるネコなんですよ!
でもオレがジャケットにネコを描くとその子と会えなくなっちゃうんですよ。
よく野良猫とかをモデルに描いていたんだけど、急に保護されて会えなくなっちゃう。
だから子供の頃のナムちゃんを描きました」
ナムちゃんは7月6日に迷い込んで来たので「ナムちゃん」。
すなわち「リアルネコ大仏」!
S41a0110 「間宮さんのアレンジってamber lumberがいつも演ってる感じと大分変わるから、正直『いつもの方がいいかな~?』とか思ったりすることもあるんです。
でも次の曲に関しては絶対的に間宮さんのアレンジの方がカッコいい!」200v今日はいつも通りのアキラさんのファンク・ストラミングから。
曲は「ドウシテコンナニコワイノダロウ」。S41a0478芥川龍之介の遺書の中の文句のような曲名とは裏腹に、ギターが醸し出すグルーヴとアキラさんのキレのいい歌が完璧にマッチしているamber lumberのファンキーな側面を打ち出す1曲。260_dkkバッキングに、オブリガードに、ソロにと征史さんのベースがとてもスリリングだ。270v2人のノリやソリが合致した快演!
アキラさん曰く、久しぶりに演ったら「付いて来いよ!付いて来いよ!」みたいなスピードになったという。280ココで相撲トークのコーナー。
「相撲を知らない人に言っておくと『高安』っていうお相撲さんがいるんだけど…毛むくじゃらで歌がメッチャ上手いのね。
その高安ってスゴく強いのに、メンタルが弱いのかナンなのか、決勝まで行くんだけどいつも優勝できないのよ。
もう全相撲ファンの悲願が『高安優勝』。
で、今場所もそれに近づいているんだけど、この辺りでコケるのが高安だから。
今場所もあと2日…高安のことを考えていると2日が長い!
『高安が横綱になるところが見たい人生』とかもう早く終わりにしたいね」
290v「準優勝が12回ですからね。
だから今、みんな静かに応援してるんですよ」
その春場所の結果…「9度目の正直」となった優勝決定戦で大の里に送り出されて高安は優勝を逃したそうです。
気の毒に…。
300vウチはテレビで相撲を見ない…どころかスポーツ関連のニュースには全く興味がなくて、大谷翔平の話題になるとすぐにチャンネルを変えてしまうぐらいなのね。
もう朝から晩まで「大谷、大谷」って…同じ大谷でも「令文さん」だったら飽きずに見られるけど、野球はイヤ。
そんなだからニュース番組やワイドショウでもスポーツと芸能のコーナーになるとサッとチャンネルを変えるかテレビを消しちゃう。
結果、相撲の情報となると100%amber lumberのライブで仕入れることになる。
2人の相撲トークに登場する力士しか知らないワケ。
先日、銀座で開催されたスポーツ関連のイベントに取材で訪れた際、お相撲さんがひとりステージに上がった。
誰だかわからない…でも何となくどこかで見たことがあるような気はする。
もちろん、イベントの時にはチャンと紹介されていたのだが、それが誰か忘れてしまってしまい、その部分の記事の文章を書くことができない。
まさか「お相撲さん」と書くワケにはいかないでしょう?
そこですぐに頭に浮かんだのが征史さん。
写真を送って鑑定してもらった。
すぐに返事が来て、細かい経歴まで指導してくれた。
元横綱の「照ノ富士関」だった。
日本人でありながら横綱を知らないのはさすがにマズイな…と恥じ入った次第。
Marshall Blogの相撲トークは以上。320v「さて、今年の最初のライブは6年ぶりの石垣島でした。
ホントは私のソロで行こうと思っていたんだけど、石垣島でお世話になったお店がなくなっちゃうと聞いてコリャ行かないと後悔する…と、山本さんをそそのかしてamber lumberで演ったんです。
ところがナント!そのお店はなくならないことになった。
最後の盛り上がりを見てそのビルのオーナーの気が変わったらしいのね。
『こういう場をなくしちゃいけない!』って思ったんだって。
だからまた行ける」310続いてはやたらと感動をまき散らす1曲、「ウートートゥ」。
本当にアキラさんの深い歌声が場内の空気を入れ替えちゃうんだよね。
やっぱり「曲」と「声」の力っていうのはスゴイもんですな。330v_uttアキラさんの歌声と同じく深いところで4本の弦を鳴らす征史さん。
この曲はその6年前の石垣島から帰って来てすぐのお彼岸の時に作った曲なのだそうだ。
初めて人前で歌った時は泣いてしまって歌えなかったとか。
そして、今日も彼岸に歌っている。
春の彼岸は「ぼたもち」でこしあん、秋の彼岸は「おはぎ」でつぶあん…年寄がおらず、物故者がいない典型的な核家族で家で育った私は結構最近までコレを知らなかった。330v続けて「呼吸とテレパシー」。
340_ktt「♪届け、呼吸に乗せて!届け、テレパシー!」
今度はハードなストラミングにアキラさんの凛々しい歌声がコダマする。S41a0164 スページ―なバッキングから曲の後半で征史さんが2度目の噴火。
何の恨みがあるのかは存じ上げないが、ナゼかCDに収録されないのがこの曲。
充分にカッコいい曲だと思うんですけどネェ…と思ったら現在制作中の新しいアルバムに収録されるようだ。360…というのはココまでの5曲はニュー・アルバムの1曲目から5曲目までだったのだから。
間宮さんのアレンジはゼンゼン違うそうだ。
「ちなみに間宮さんはホントに脳ミソがギターに直結しているようなイメージの人で、『間宮家』というのはお徳川家の御庭番だった忍者の家系なんですよ」
「御庭番」というのは将軍直属の密偵のことね。S41a0235 「本人は間宮林蔵の家系であるということを否定してるんだけど、『間宮さん、いいじゃないですか』っていう前提で彼とは話をしています。
間宮林蔵は北海道を全部計測して海峡を調べて歩いたんですね。
忍者と言っても戦うワケじゃなくて、情報収集能力が高いんですね。
だから間宮さんはその情報処理能力がすこぶる高い。
そして、本当にギターを如意棒のように自由自在に操る。
今回、裏ジャケットはコレです…間宮さんに孫悟空になってもらいました」S41a0239 間宮さんの話が続く。
「今回、間宮さんを孫悟空にして申し訳なかったなと…次回のアルバムの裏ジャケットは、ボクが沙悟浄で、森永さんが猪八戒」
370v「なんで、私が猪八戒なの!三蔵法師でしょ?」S41a0247 とうとう出してしまいまいましたね…間宮林蔵。
江戸の昔、中国大陸と樺太の間は陸続きなのか、あるいは海なのか?というのが今風に言うと「世界七不思議」のひとつだった。
その様子を見て記録した者がいなかった。
そこで現地へ行って肉眼で確認をして、その状況を報告したのが間宮林蔵だった。
結論は、基本的には海であり、干潮時には陸地が現れる。
林蔵は歩いて中国大陸へ渡ったという。
こうして我々はその中国大陸と樺太の間のことを「間宮海峡」と呼んでいるけれど、世界的には「タタール海峡(Tatar Strait)」、中国では「韃靼海峡」と呼ばれている。
そして、伊能忠敬に教えを乞い、当時は完全に未開の地であった北海道の実測地図を作製した。

Mamiya
その林蔵の大業を描いたのが吉村昭の『間宮林蔵』という作品。
私は23歳ぐらいの時から吉村先生の作品を読み始め、ほぼ全部作品読破しているんだけど、コレはかなりオモシロかった部類に入る一作。
何しろ北海道よりズッと北まで踏破するワケだからね。
「ギリヤーク人」なんていう粗暴な樺太の原住民なんか出て来て、道中で待ち受けているたくさんの難関や労苦を乗り越えて行く姿を描いていく。
下の写真の左の本は、筑摩書房が昭和36年に上梓した有名な『世界ノンフィクション全集』の第1巻。
『黒龍江紀行』と題した林蔵の記録が掲載されている。
この全集は立花隆先生も若い頃に夢中になって読んだということで、私も50巻すべてメルカリで買いそろえた。
それは良いのだが、字が小さいのと、内容の大半を占める翻訳作品の訳文が規格外にオソマツで読み進めるのに大変な辛抱を強いられる。
でもこの『黒龍江紀行』は日本人が書いた文章なのでオモシロかった。
0r4a0908_2舞台はド~ンと変わって見渡す限りの休耕地。
場所は茨城県のつくばみらい市。380ココにあるのが間宮林蔵の生家跡。390林蔵の生家。
安永年間(1772~1781年)に建てられたかやぶき屋根の家。
当初あった場所から3度ほど移築したそうだ。400敷地内に建てられている間宮林蔵の銅像。
「間宮林蔵記念館」が併設されている。
440vすぐ近所で目に入った選挙の立て看板。
やっぱり間宮さん。450v生家跡からチョット離れた所にある「専称寺」。410ココに樺太探検に出る前に建てたとされる林蔵の墓がある。430v傍らには林蔵の偉業を称える立派な顕彰碑が立っている。
こういう顕彰碑というのには見方がありましてね。
ま、私のオリジナルの見方だからアテにはなりませんよ。
420vまず「篆額(てんがく)」と呼ばれる篆書体という独特のフォントで書かれた上の方の四角い部分を見る。
この場合、「間宮先生埋骨〇〇」と読める。
ね、もうコレだけでオモシロイでしょ?
〇〇の2文字はわからん。
「篆書体の漢和辞典」っていうのがあるにはあって、つい先日ブックオフで偶然見つけたんだけど滅多に使うものではないのでさすがに買わなかった。0r4a01752  

12_ksh本体にドバ~っと書かれている文章は「撰文」というんだけど、漢文なので漱石じゃあるまいし、こんなの読めるワケがないのでシカト。
その代わり最後の1行にだけ注目する。
ナンとならば、最後の1行には篆額を書いた人と撰文を書いた人の名前が必ず記されているから。
コレがオモシロイ。
案外「エ?」っていうような有名(っぽい)な人の名前が挙がっていることが多い。
この林蔵の碑の場合、篆額は「鍋島直大(なおひろ)」という人の手によるもの。
鍋島直大というのは肥前佐賀藩の第11代にして最後の藩主。
佐賀藩は討幕派だったので、後に明治政府の政治家/外交官となった。
元総理大臣の細川護熙の曽祖叔父(おジイちゃんのオジさん)。
嘉永年間、楢林宗健というシーボルトのお弟子さんが、長崎の出島の医師モーニッケ経由で入手した種痘の苗を自分の息子に接種した。
その時、佐賀藩主だった鍋島直正も自分の息子で当時4歳だった直大に接種させたという。
最近「雪の花」という吉村先生の作品が映画化されたが、種痘とか牛痘に関する話を先生はたくさんお書きになっていてそのどれもがすこぶるオモシロい。
一方、撰文の書き手は「志賀重昴(しげたか)」という人。
明治の地学学者にして衆議院議員だった。位階は「正五位」。
知らない人だけど、経歴はすこぶる素晴らしい。
 
この見方を知っているだけでも顕彰碑を見る目が変わること間違いなし。
思わぬ発見があって存外にオモシロイよ。


チョット脱線ついでに…。
下は浅草寺の境内にある「福地櫻痴」の顕彰碑。
浅草寺へ行ったらメンチを食べたり、煙を浴びたりしているだけじゃダメよ、ダメダメ。
本堂の横や「奥山」と呼ばれる裏には見応えのあるモノがゾロゾロと並んでいるんですよ。
Img_1752この櫻痴の顕彰碑の篆額を書いたのはナント「山縣有朋」。
ちなみに櫻痴は本名を「源一郎」といって、明治時代に「東京日日新聞(今の毎日新聞)」の社長を務め最晩年には衆議院議員となった人。
櫻痴は日本で最初の英語の先生と言われているラナルド・マクドナルドから英語を学び、ペリーや、プチャーチンと川路聖謨(かわじとしあきら)の仲介を務めたスーパー通訳「森山栄之助」の弟子。
櫻痴はやはり通訳として大活躍し、初めて「society」を「社会」と訳した人。
また、どの新聞にも「社説」っていうのがあるでしょう?
アレを始めたのも櫻痴。
さらに外国の文物を多く翻訳し、そのネタを三遊亭圓朝らに提供していた。
圓朝は「文七元結」、「芝浜」、「牡丹灯籠」、「真景累ケ淵」等の作者ですからね、櫻痴が提供するネタが大いにその創作に役立っていたのかも知れない。
Img_2643_2櫻痴の出身地は長崎。
「思案橋」と有名な「崇福寺」の中間あたりの「油屋町」というところ。
私は去年行って来た。
008a0317一方、墓は谷中墓地にある。
「福地源一郎」の墓碑銘で、大きめの普通のデザインの墓石が立てられている。220v最近はNHKのドラマで「吉原」が注目されているようだけど、下はその「吉原神社」。
伊藤博文や澁澤栄一等、明治のおエライさんはケタ違いに女子が大好きでいらっしゃった。
神社の入り口には「春夢正濃満街桜雲」と「秋信先通両行燈影」という漢詩が刻まれている。
コレは「春の夢の中にいたらいつのまにか辺りは桜が咲いていて」、「秋の知らせの秋雨は燈影に降る」と、遊郭で遊んでいる間は時間の経過がオッソロシク早い…ぐらいの意味らしい。
「楽しい時間は過ぎるのが早いもので次で最後の曲です」「エエエ~!」と同じ。Img_1738この漢詩を作ったのが福地櫻痴。
昔は漢詩ができるかどうか、というのはインテリジェンスのバロメーターだった。
夏目漱石は英語だけではなく、漢詩に長けていたので大いに尊敬された。
実はこの神社の門柱は吉原遊郭の入り口にかつてあった「吉原大門」を模しているそうで、もともとこの櫻痴作の漢詩は大門の門柱に刻まれていたのだそうだ。
つまり、国会議員まで務めた社会的に地位の高い人が堂々と「傾城町」を賛美していた時代があったワケです。
今の政治家は明治の昔の政治家が羨ましかろうて。
Img_1735さらに場所を変えてまさかの間宮リターン。
下は台東区にある「五臺山 源空寺」。
ココは幡随院長兵衛や画家の谷文晁、伊能忠敬やその師匠高橋至時(よしとき)の墓があることで知られている。
林蔵は地形の計測の方法を伊能忠敬にちょくちょく教わっていたので高橋家とは近い関係にあった。
「シーボルト事件」って知ってるでしょ?
高橋至時の息子の景保(=作左衛門)はシーボルトが持っていた『世界周航記』という本欲しさに忠敬が作った地図の写しをシーボルトに渡してしまう。
それが露見して国禁を犯した廉で死刑になってしまった…というのが事件の一部。
他にもシーボルトから薬を分けてもらったお礼に葵の紋服を渡してしまい、あわや打ち首になるところだった土生玄碩(はぶげんせき)という日本の眼科学の開祖なんてのもいた。455その死刑になってしまった景保の墓もこの源空寺にある。
景保は判決が出る前に小伝馬町の牢屋敷で死んでしまったため、遺体は大きな甕に塩漬けにされた。
そして1年後、「打ち首」という量刑が決定した時、甕からワザワザ遺骸を取り出して首を落としたという。
その景保とシーボルトの関係を幕府に密告したのが間宮林蔵だと言われている。
でも林蔵は「アイツ、やってますぜ」と直截的に幕府にタレ込んだのではなく、景保からもらったヤバいことが書いてありそうな手紙を封を開けずして幕府にパスしただけだったとか。
いずれにしても景保は林蔵のおかげで最終的に首と胴体が別々になった。
460v景保の顕彰碑のB面にはシーボルトから景保への献辞がドイツ語で刻まれている。
イヤ~、期せずして大きな脱線になってしまった!…お退屈さまでした。
470「ココでアルバムから離れますが、皆さんに気に入って頂いている『半分の月』という歌。
何回も秘密を話したことがありますが、娘がすごく悲しい目にあっている時に半月がピカピカで娘と被った…ということからできた歌です。
今から私…『お母さんモード』になりますからね。
それから、娘の披露宴で弾き語りをした曲を初披露してしまおうと思っています。
でも、まずはこの曲から…ホントはこの曲を披露宴で歌いたかったの。
でも結婚式には向いてなかったんだね」480vamber lumberのステージでは欠かすことができないバラード「半分の月」。490_htこういうのを「マスター・ピース」っていうんだろうね。
グ~っと感情を込めて心の内を吐露するようなアキラさんの歌い口は聴く者に大きな感動を与える。500v「♪キミが生まれた日 確かに感じたんだ 宇宙が生まれた」
コレが先頃結婚したお嬢ちゃんの披露宴で、アキラさんが留袖に身を包んで歌ったワルツ「宇宙のあかりへ」。
510v_ua征史さんが奏でる温かいフレーズが曲のやさしさを一段と引き立てる。520vしかし、お母さんが曲を作って結婚式で歌うなんてことはまず普通はあり得ないよネェ。
アキラさんナニも言っていなかったけど、お嬢ちゃんは号泣してしまったのではないかしら?
イヤ、宴席の皆さんもきっと涙を流したに違いない。530「楽しい時間は過ぎるのが早いもので次で最後の曲です」「エエエ~!」とはやらなかったけど第1部最後の曲。
「とりあえずハッピー」でにぎやかに締めくくった。540vコレはCGではありません。
征史さんがアキラさんの背後から回って2人仲良く並ぶ…の図。
曲の内容通りハッピーな雰囲気で征史さんの誕生日ライブの前半を終了した。140v「横綱豊昇龍が休場中につき私が本日の中入り…ヨイショ!で〆ますよ~」
客席の皆さんと一緒に「ヨイショ~!」
キマまった~。
四股で出番を締めくくるライブなんて他にないぞ!560v<つづく>
 

200 (一部敬称略 2025年3月21日 神田SHOJIMARUにて撮影)