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2025年11月28日 (金)

THE GOOD-BYE LIVE TOUR 2025 -ROUTE 83- <前編>

 
久しぶりの「東京国際フォーラム」。
かつてこの場所には東京都庁舎があって、それが新宿に移転したのは1991年のこと。
もう34年も経つのか…。
50年前、まだ土曜日が休みではなかった中学生の頃、映画に夢中だった私は日曜日になると有楽町に赴き映画館に入り浸っていた。
日比谷映画、有楽座、スカラ座、みゆき座、スバル座、東宝ニューシネマ、丸の内東宝、丸の内ピカデリー、丸の内松竹、松竹セントラル、東劇、テアトル東京、テアトル銀座等々、どの映画館もよ~く覚えている。
そして、その東京都庁舎に関しては古くて暗~いイメージがシッカリと記憶に残っている。10ところで、現在東京国際フォーラムが立っている場所は、江戸の昔にはナニがあったかご存知か?
コレがスゴイんですよ。
大好きな古地図のソフトを引っ張り出して調べてみて驚いた。
この辺りは外濠の内側の「外郭」という武家地、町地、寺社地が連なる江戸城の一部だった。
いわゆる「城下町」というヤツ。
そしてフォーラムの場所にはナント、下の地図にある通り「松平土佐守豊信」の屋敷があった。
「誰、それ?」ですって?…わからなければ言ってやろう。
福井の「松平春嶽」、宇和島の「伊達宗成」、薩摩の「島津斉彬」と並んで「幕末の四賢候」に数えられた土佐藩第15代藩主の「山内容堂」なるぞ!
ま、威張ってみたところで私の親戚でもナンでもないんですけどね。20そしてフォーラムの建物の半分ぐらいは土佐の隣りの阿波国徳島藩の第13藩主「蜂須賀斉裕(なりひろ)」のお屋敷だった場所に立っている。
「蜂須賀」氏というのは羽柴秀吉に仕えて阿波国(今の徳島県)に入封し、25万石を拝する徳島藩主を世襲した名家。
「25万石」ってかなりスゴイですからね。
江戸時代の蕃別石高のランキングを見ると、もちろんチャンピオンは加賀前田の120万石。
2位がガクンと落ちて薩摩の72万石。
3位が仙台藩の62万石だった。
そして、尾張、紀伊と御三家が続いて、ズズイと下るとは言え徳島藩は全国で第17位につける雄藩だった。
で、この「斉裕」という人は「膃肭臍将軍」の異名を持つ第11代将軍「徳川家斉」の第22男なのです。
「22男」は「2男」の間違いではありません。家斉の22番目の男の子。
「膃肭臍」は「オットセイ」と読む。
家斉はオットセイのエキスで作った強壮剤を愛飲して子作りに励んだことから「膃肭臍将軍」とアダ名された。
側室の数は17人。
男児26人、女児27人、しめて53人の子供を作った。
性別不明で亡くなった新生児が2人いたので総計では55人にも上る、正真正銘の「ビッグ・ダディ」だった。
下は小石川にある徳川家の菩提寺のひとつ「伝通院」。
ココは家康のお母さんの「於大(おだい)の方」のお墓があることで有名だが、家斉の子供たちのお墓もズラリと並んでいて、それらの墓石に添えられた石柱を見ると思わず笑ってしまう。
そこには「十一代徳川家斉 十五女 元姫」とか「二十男 久五郎」と刻まれているワケ。
「十五女」とか「二十男」なんて言葉は聞いたことがない!
25下はご存知、元は加賀藩の上屋敷だった場所に立っている東京大学の「赤門」。
家斉の娘が加賀前田家へ輿入れした時に造った御殿の正門だ。
その娘とは家斉の21番目のお嬢ちゃん「溶姫(やすひめ)」。
もちろん建設費は前田家持ち。
以下は松本清張の『東京の旅(光文社文庫刊)』という本で読んだ話。
それだけたくさんの家斉の子供がすべて聡明英知、眉目秀麗、容姿端麗であればいいですよ。
ところが母方の血筋もあって、中には到底そうではない子もいるのが普通なワケ。
全国の有力な大名は、表向きは「将軍さま~!」と崇め奉っていても、そうした家斉の出来の悪い子供を婿や嫁にと押し付けられやしまいかと日夜ヒヤヒヤしていたらしい。
德川御三家のひとつである水戸藩などは、「斉昭」という立派な後継ぎがいるにもかかわらず47番目の「恒之亟(つねのじょう)」という子供を押し付けて来た。
それにスッカリ気を悪くした水戸藩は一気に討幕派論者になってしまった。26さて、東京フォーラムの歴史がわかったところで(どこがじゃいッ?)、THE GOOD-BYEのコンサート会場である「ホールC」にやって来た!30ロビーに飾られた祝い花の数々。
40「今か今か」と…50開場を待つお客さん。60vこの日の屋台村のようす。
各メンバーのグッズや…70vTシャツがズラリと並んだ。80すでに先行の物販タイムで売り切れになってしまったアイテムも多数。90ホールに入って舞台に目をやるとまず飛び込んでくるのはコレ。
「ROUTE 83」とはTHE GOOD-BYEがデビューした「1983年」を表している。100…となると調べたくなっちゃうでしょ?
「シカゴ」から「サンタモニカ」を結んでいた「ルート66」はボビー・トゥループの曲でとても有名だが今はもうない。
しからば「ルート83」となるとどうなのかしら?
調べてみると…あったあった!
ルート66とは対照的に、サウス・ダコタのカナダ国境の街「ウエストホープ」からメキシコ国境のテキサス州「ブラウンズヴィル」まで大陸中央部の南北を貫く道路が「ROUTE83」。
アメリカの国道は、基本的に奇数番号は南北、偶数番号は東西を走っているんだよ。
105客席は3階までパンパン!110開演時間となり、客電が落ち、大きな歓声が上がる。
コンサートで一番興奮する時間。0r4a0007そして深遠なオープニングSEが流れる中メンバーが登場しショウが始まった!
今回のオープニングは「祭り気分でTAKE A CHANCE」
150野村義男、曾我泰久、衛藤浩一…THE GOOD-BYEの3人は今日も絶好調!0r4a0015 ステージ前方に歩み出て…008a0094 耳に手を当てて客席から上がる歓声を受け止めるヤッチン。008a0084 野村さんとヤッチンが向き合ってギターで会話。
1701曲目から見どころ満載!
120ところで今日のヤッチン…もちろんアンプはMarshallなんだけどいつもとはチョイと違う。
008a0079使っているのは「JVM410H」と「1960A」。
コレはいつもと同じ。008a0007ところが使い方が違うのだ。
今回はディストーション・サウンドを出すためのエフェクターを一切使わず、Marshallが真空管で作り出すピュアな歪み音を追求したのだ。
実はこういうシンプルなやり方がコレが一番良い音を出すのです。
下はその音色の種類をチョイスする専用のフットコントローラー。008a0003その歯切れがよく、図太く突き抜けるギター・サウンドがソロとバッキングの両方で大活躍した。008a00402曲目は「YOU惑 MAY惑」。
180THE GOOD-BYEの3人をサポートするのはおなじみの面々。
まずはsources。
野津永恒(のつひさのぶ)190v加賀谷綾太郎
200v日高隼人210v和佐田達彦220v「心ゆくまでTHE GOOD-BYEサウンドを楽しんで行ってください!」と野村さんのご挨拶を挟んで3曲目は「にくめないのがニクイのさ」。
130v人気曲の連続に客席はもう大盛り上がり!240ヤッチンも右腕を大きく上げて客席から押し寄せる興奮に応えた。250v「皆さま、改めましてこんばんは!THE GOOD-BYEです。
大変なゲリラ豪雨の中、よくたどり着いてくれました。ありがとうございます。
相当大変だったみたいですね。
ボクらが早くにココに来た時はまだピーカンだったんですよ。
なので『外がスゴイことになっている』という会話が耳に入って来ても全くわからかったんですね。
『新幹線が止まっている?』とか、『飛行機も発着を見合わせている?』とか結構各地で大変だったんですね」
続けて野村さんのイキの良いご挨拶があって…
118a0108「珍しく陽気にシングルA面を3曲続けて聴いて頂いたところで、ココでまたシングルA面曲を続けます。
久しぶりに歌います。2曲続けてお聴きください」270ヤッチンがアコースティック・ギターに持ち替えて歌ったのはメローな雰囲気のポップ・チューン「のぞいてFeel Me, Touch Me」。
275vハーモニ―に、リレーにと野村さんとヤッチンのツイン・ボーカルズの魅力が際立つ1曲。280イントロのヴァイオリンのメロディが愛らしい「マージ―ビートで抱きしめたい」。290ヤッチンが歌うメロディが聴く者をやさしく包み込む。300v野村さんの間奏が雰囲気を大いに盛り立てた。310「シングルのA面の曲をこんなに演るってなかなかないんですよ。
どちらかと言うとシングルのB面だったり、アルバムの方の評判が良かったワケで、シングルのA面をこんだけ続けて演るっていうのは珍しんです」
320vココで野村さんがひと言…「じゃあ、そんな曲をナンでB面にしちゃったんだろうね?」
ウマい!会場爆笑。
するとヤッチンが説明を加えた。
「あの時代は、色々な音楽があって、ボクらの根底にあるのがビートルズだったり、ローリングストーンズだったりするじゃない?
昔ながらの音楽を下地にしているけど、そういう音楽を演る人が他にいなかったからね。
『マージ―ビート』なんてまさにそうだよ。
ああいう曲を80年代にシングルで出す人なんていなかったんだから。
だから、『のぞいてFeel Me、Touch Me』や『マ―ジービートで抱きしめて』を聴いてTHE GOOD-BYEのファンになった男性ファンが非常に多いんです」
008a0212「今日は去年のライブとはあまり曲が被らないセットリストを作りました。
去年のライブはDVDになっていて皆さまよく観てくださっていると思うので、その内容を裏切る…裏切るって変な意味じゃないですよ。
最近歌っていなかった曲を取り揃えてお送りします。
やっぱりライブは一期一会ですので、今日も皆さまと一緒の時間を作り上げていきたいと思います。
なんと次もシングル」3301986年8月リリースのシングル・ナンバー「僕色に染めて」。
2人のギターのハーモニーから野村さんが歌う。340フーム、こんな曲もあったのか。
ホント、THE GOOD-BYEは次から次へと色んなタイプの曲が出て来て楽しいね。
140vヤッチンの歌声が冴えわたるロッカ・バラード「グローイングアップデイズ」。360のっつの3連のピアノがうれしい。370ロッカ・バラードの音楽的なキモがすべて入っているような曲。
野村さんのギター・ソロもバッチリとキマった。380ステージを離れていたヴァイオリン・コンビが戻って奏でるのはフランスの国家「ラ・マルセイエーズ」。390衛藤さんが繰り出すファンク・ビートに乗って…118a0265 野村さんが熱唱を聴かせてくれた。410ヤッチンが絶妙なコーラスを添えるのは「魔訶Who See議」。
430v鮮やかのべース・ソロも飛び出すエキサイティングな1曲でまたまた大盛り上がり!。
和佐田さんはTHE GOOD-BYEのステージではいつも加賀さんの形見の愛器を携えて登場する。420v「どうもありがとう!
シングルA面曲も結構マニアックなことをやっていましたね。
『12インチシングル』というLP盤の大きさのシングルが当時流行りました。
持ってる人はいるかな?」
ホント、今日は全然聴いたことがない曲が目白押しな感じ。
「ココで浩一くんの声を聴いて頂こうと思います」440v「私の大ヒット曲、代表曲を皆さまにお届けしたいと思います!」450v「ワン、ツー、スリー、フォー!」の元気なカウントで始まったのは…460衛藤さんのオハコ、「花のお江戸は華盛り」
コレはよく知ってる!118a0336 歌にドラムスにハツラツとしたパフォーマンスを見せてくれた衛藤さん!480バスドラムにくっついているのは「衛藤さんウチワ」ね。
490
ココでおなじみのアコースティック・セットに場面転換して徹底的に衛藤さんをフィーチュアするコーナー。500「遠路はるばるお越し頂きまして本当にありがとうございます。
ココで私がTHE GOOD-BYEで初めてリード・ボーカルになりました栄えあるデビュー曲を聴いて頂きましょう!」510衛藤さんが歌ったのはそれこそ1983年に発表したファースト・アルバム『Hello! The Giid-Bye』から「愛 See Tight」。520ブラシを使って歌うこのレイドバックした雰囲気は衛藤さんならではもの。530v2人のコーラスが加わり何ともいい感じに仕上がった。540「どうもありがとうございます。
41年前…『Hello! THE GOOD-BYE』ですから」
しばしの健康談義から…
「では、私が歌ってる最新ヒットナンバーをお届けします!」
550vバンド・メンバーがステージに帰って来て演奏したのは…30年ぶりのニューアルバム『Special ThanX』から「笑顔がICHIBAN」。570まさに「Yellow Submarine」や「With a Little Help~」を連想させる衛藤さんならではの1曲。
アレ?コレは以前にも書いたかな?…でもそういうこと。
衛藤さんしか出せない味がココにある。580vココでもヤッチンと野村さんのコーラスが加わりホッコリムードでショウの前半を終了した。
590<後編>につづく
 200(一部敬称略 2025年9月11日 東京国際フォーラムホールCにて撮影)